八月納涼歌舞伎 二部・三部

kenboutei2006-08-20

歌舞伎座。納涼歌舞伎二部、三部を通しで観る。久しぶりに大向こうの威勢の良い声を聞いた気がする。
第二部
『吉原狐』最近のお笑い番組でもよくみられる、勘違いコント。福助のおきちは、水を得た魚のように活き活きとしていたが、もとは先代勘三郎にあてて作られており、そういう意味からは、当代勘三郎でも観てみたい気がする。
面白いには面白いが、観終わって何も心に残らない。納涼歌舞伎としては、それでいいのかも。
橋之助のおえんは、ミスキャスト。二部で女形をするより、三部の八犬伝に出てほしかった。
芝のぶが可愛い。(つい「芝のぶちゃん」と言ってしまいたくなる。)
他に踊り三題。
第三部
南総里見八犬伝平成14年7月の猿之助版は、確かに観ているのだが、ほとんど記憶がない。(スーパー歌舞伎の方は、まだ幽かに覚えている。)
序幕で登場する松也の安西景連の亡霊が、特筆すべき立派さ。立役としてのスケールが大きいのに驚いた。また、声が父親の故松助にそっくり。女形もする松也だが、これを機に立役中心とし、できるだけ早く松助名跡を襲うべし。(ニューハーフのような松也の女形も、たまには観たいが。)もう一役の犬江親兵衛の方は平凡。
三津五郎が早替わりで犬山道節として現れ、花道を六法で引っ込むところは、見事。
見せ場の一つである、芳流閣屋上での、染五郎信二郎の立回りは、案外小じんまりとして迫力がなかった。
福助の犬坂毛野が、お嬢吉三のようで、良かった。田楽の一座としての舞が御馳走。和歌山富太郎や望月朴清が、ここだけに出座という贅沢さ。芝のぶちゃんも舞ってくれて嬉しい。
扇雀の国崩し、山下定包が、予想に反して立派。さすが鴈治郎、いや藤十郎の息子だ。
各幕に見どころはあるが、「八犬伝」としての面白さには欠ける第三部であった。
それにしても、二部、三部ともに、座頭たる三津五郎の存在感が薄かった。それが、芝居全体の求心力を欠いた、どこか物足りない観劇の印象につながったと思う。