八月歌舞伎座・第二部

kenboutei2008-08-10

納涼歌舞伎。今日は二部のみ。
『つばくろは帰る』非常に良く出来た人情噺。いかにも川口松太郎
思った以上に長い芝居だったが、全く飽きずに観ることができた。
三津五郎が大工の棟梁・文五郎役で、味わい深い演技をみせる。江戸っ子気質の啖呵をきるところなどはまだ弱いが(この辺は、先代の松緑はさぞうまかっただろう。)、人情味に溢れた一級品の芝居。
それに次ぐ名演は、子役・安之助を演じた小吉。亡き坂東吉弥の孫だというのも、なんだか泣けてくる。
大工の弟子役の勘太郎、巳之助もなかなか良い。ただ巳之助は、今時の若者風の演技・リアクションになっていたのが、気になった。
母親役の福助が、ちょっと微妙。江戸に残していた息子との再会を頑に拒否する心情が、なかなか理解しにくかった。心が揺れ動いているのはよくわかるのだが、相変わらずの表層的演技というか、君香という複雑な女性像に、まだ迫りきっていなかった。
川口松太郎のこの戯曲は、良くできている分、演じる役者には相当の技量が必要とされるように思えた。今日の舞台においても、三津五郎の文五郎は確かに良かったといえるが、君香との関係においては、まだ深堀りが必要だったところもある。
日数を重ねれば、この座組で更に良くなっていくだろうと思う一方、他の役者で観るのも、また違った味わいがあるだろう。(例えば、仁左衛門の文五郎などは是非観てみたいし、君香も、もっと上方の味のある役者が望ましい。)
最後に、江戸へ帰る安之助を見送る君香が、満足気な笑顔であるべきなのか、役者の解釈でも異なるはずだ。
扇雀の女将おしのは、なかなか雰囲気があって良かった。弥十郎の蒲団屋万蔵も同様。
菊十郎が茶屋の老婆役、老けの女形を観るのは初めてのような気がする。笑い方などが、少しぎこちない。
タイトルにある「つばくろ」とは燕のことだそうで、当然、京まで産みの親を探しに行ったが結局は江戸に戻った安之助のことを意味しているのだが、実は京の祇園出身で、一旦は江戸に出たが、再び京の祇園に戻ってきた、君香のことをも暗示しているのではないだろうかと思った。
大江山酒呑童子美術を串田和美が担当して話題となっている、ということは、今日の筋書を見て初めて知った。もっとも、この「大江山」自体がおそらく初見なので、過去の舞台との比較はできない。
舞台は松葉目とは異なり、山水画の墨絵の幕が三枚掲げられ、一段高い所作台が置かれている。この所作台に、ワイヤーが取り付けられてあり、これが後半活躍する。(この装置を見ただけで、最後の仕掛けは想像できてしまった。)
最初は源頼光一行の名乗り。衣装を含めて、勧進帳のような雰囲気。橋之助の平井保昌が立派。
続いて、酒呑童子の登場となるが、花道すっぽんから現れた酒呑童子は、顔の作りが勘三郎っぽくないなあと思ったら、やはりこれがダミーで、すぐにすっぽんに引っ込み、瞬時に本物の勘三郎が本舞台からセリ上がってきた。
この後は、人形やミニチュアを使った、串田風の演出があり、まあ楽しい部分もあるが、長唄囃子連中の音曲とはあまりマッチしていなかったような気がする。
後シテの勘三郎もそれほど面白味はなかった。
吊上げられた所作台から、滝のごとく流れ落ちる赤いビーズ(?)が、とても綺麗で、この演出だけは見事。