初めての京都南座顔見世 昼の部

kenboutei2013-12-08

梅田から阪急線で河原町。1時間かからず390円。3階の一番前だが、1万5,000円。10時30分スタート。
 
『日招ぎの清盛』
正式外題は『厳島招檜扇』。
我當の清盛。台詞が長くなると、声量が落ち、聞き取りにくくなる。体力的に限界か。清盛は以前見た公家悪ではなく、剃髪姿。眼目の日招ぎは、照明で演出。背景は変わらず。どうせなら沈んだ夕日が戻ってまた昇る場面を絵面で観たかった。それが歌舞伎的嘘の美学と思うのだが。
澤瀉屋一門と亀鶴、亀寿、萬太郎。息子の進之助。
隣の老婦人が幕開き直後に「澤瀉屋!」と声を掛けたが、舞台にいたのは我當。間違いに気が付き、動揺していた。(幕間に隣の客と会話しているのを漏れ聞くと、大阪で大向こうを掛けるサークルのようなもの入っており、勉強中とのこと。関西にもそういうのがあるのか。)
 
『道行旅路の嫁入』
時蔵の戸無瀬、梅枝の小浪。
この親子での舞台は、あまり記憶になく、新鮮に映った。どちらかというと現代的な感覚を持つ時蔵と、若手では珍しい程古風な雰囲気のある梅枝。親が新しく、子が古いという、対比の妙が面白かった。これが踊りまでそうなのかは、うつらうつらの中での観劇だったので定かではないが、この親子の共演は、もっと見続けていきたいと思った。
 
『ぢいさんばあさん』
中車の伊織、扇雀のるん。右近の下嶋。中車の舞台はまたも新歌舞伎限定。しかし、新歌舞伎も実は難しいのは前述の通り
中車の伊織はかなりぎくしゃく感がある。鼻に手をやる癖も、わざとらしい。張る台詞も無理しているようで、聞いていて辛い。そう思っていると、着物で立っている場面も、違和感を持ってしまうようになる。「小栗栖の長兵衛」を観た時は、これから慣れるだろうと思っていたが、まだ道のりは遠いようだ。
これに比べると、扇雀、右近はしっかり新歌舞伎の台詞になっているのは、当たり前ではあるが、やはりこれも型なのだと再認識。
 
『二人椀久』
愛之助の椀久、孝太郎の松山。
仁左衛門の椀久で観たかったというのが偽らざる本音だが、愛之助・孝太郎コンビもなかなか魅力的であった。体型的に似たようなスタイルで身長差も程良く、踊り手としての親和性があるのではないか。後半の手踊りなどは、息が合っていて面白く観れた。
仁左衛門玉三郎富十郎雀右衛門のような名コンビになるよう、続けていってほしい。
 
『四の切』
猿之助の忠信。藤十郎義経秀太郎の静。
新橋での襲名時と全く同じ。段四郎は休演で寿猿の法眼。飛鳥に竹三郎。ご馳走かどうかわからぬが、亀井に松緑駿河愛之助が付き合う。松緑は昼の部はこれだけ。(夜の部も最後の一幕だけだった。)
猿之助は、すでに手馴れた感が漂い、狐言葉は意図的に伸ばしたり、縮めたり。伸縮自在だが、才気だけが目立ち芸の味わいには乏しい。
それでも、澤瀉屋型の狐忠信として、これ以上のものはいない。
面白かったのは、秀太郎の静。新橋でもそうだったが、忠信の動きへの反応が好感。控えるところは控えつつ、びっくりした時には思い切り芝居をしている。最後の「おさらば」では、身体を横に曲げてお辞儀をしていた。藤十郎義経と飛び去る忠信を見送る姿も新橋同様、微笑ましい。
藤十郎義経は、「気早の大将」などを省略。
3階で観ていたので、引っ込みまで楽しめた。
 
帰りは先斗町で食事。