初めての京都南座顔見世 夜の部

kenboutei2013-12-07

大阪で海遊館見学後、京阪電車で京都へ。
初めての京都南座。もちろん、その顔見世興行も初めて。1等席で2万5千円(!)。全体的に狭い劇場(内も外も)。
猿之助、中車、猿翁の襲名披露。仁左衛門休演、梅玉出ずっぱりの奮闘。
今日は夜の部を観る。
 
『御浜御殿』
梅玉の綱豊卿、中車の富森助右衛門、孝太郎のお喜世、時蔵の江島、我當の勘解由。
梅玉と中車のやりとりは、とても青果の台詞劇とは思えない。これは歌舞伎自体が初心者の中車だけでなく、梅玉にも責任があったと思う。台詞廻しについては、新歌舞伎の方がむしろ難しいのかもしれない。この二人につられてか、孝太郎のお喜世も雑な演技が目立った。
 
『口上』
幕が開くと、舞台は猿之助、中車、藤十郎のみ。猿翁は最後に呼ばれて登場する。
藤十郎は、東京と同じく、紙を読み上げるスタイル。猿之助、中車ともに「東京で襲名したのをここ京都でもお披露目する」という趣旨の挨拶。
猿之助「自分が南座顔見世に出るのは9年振り。猿之助のまねきが出るのは18年振り。猿翁のまねきは、今回が初めて」
中車「中車は重い名跡南座のまねきにその名前が載るのは、昭和40年12月以来、48年振り。実はこの月に、自分は生まれた。」
最後に猿翁登場。今回は素顔で羽織袴。裃はつけず。以前に比べ一層頬がこけ、痩せてしまっていた。隣の猿之助が挨拶を代読。それに応じて、猿翁は一生懸命身振りで表現しようとしている。パントマイムのような、人形振りのようなそのギクシャクとした動きが、むしろ悲しい。「すみからすみまでずずずいと」のところでは、自ら声を発していた。頭はおそらくクリアなのに、身体と言葉が思うようにならない現実。それを見せつけられている我々は、どう受け止めるべきなのか、いまだに戸惑ったままだ。
今月は段四郎も休演。かつて、猿翁・段四郎兄弟の襲名披露興行後に起こった悲劇が、今度は中車・猿之助兄弟に訪れかけているという不安を拭い消せぬまま、「口上」は終わった。
 
『黒塚』
猿之助襲名披露狂言昨年の新橋と同じだが、阿闍梨團十郎から梅玉に(この事実にも嘆息)。梅玉阿闍梨は、品が良く、團十郎よりも立派。その分、新橋よりも今月の方が良かった。舞台の間口も違うので、セットは少々貧弱。
 
『新口村(清元)』
藤十郎の梅川、翫雀の忠兵衛。清元版の「新口村」(外題は『道行雪故郷』)は、この二人しか登場しない。浅葱幕が振り落されると、筵に身体を隠した二人が舞台中央に表れるが、二人とも体型が豊かなため、筵の中が窮屈に見えた。踊りは、ほとんど左右に動かず舞台中央周辺で、二人が立ったり座ったり、回ったり手をつないだり。面白くも何ともない。だからといって清元が楽しめるわけでもなし。せっかく今月我當が出ているのなら、彼に孫右衛門をやらせて通常の「新口村」の方が良かったのに。それをさせない事情があるのが、南座顔見世なのか?
 
児雷也
梅玉がなんと児雷也。どうなっているのだ。通しでもなく(この時間だから当たり前だが)、ダイジェストのような不思議な一幕。蝦蟇の着ぐるみと最後のだんまりを見せるのが目的か。これも顔見世ならではなのか? 
愛之助松緑が、だんまりでようやく登場。この二人は夜の部はここだけ。午後9時過ぎからの出演。
笑也の綱手が、案外良かった。
幕切れの背景の虹の絵があまりにもチャチすぎて、歌舞伎を観ている気がしなくなった。
 
終演は9時35分(午後4時15分開始)。初日はもっと遅かったという。狂言立てはてんこ盛りだが、配役と中味はスカスカの上げ底感ありというのが、初顔見世の率直な感想。