十月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2007-10-14

『怪談 牡丹燈籠』前回は納涼歌舞伎で今の勘三郎、三津五郎、福助で観たが、三部制の一部だったので、こんなに長くはなかったはず。その前の吉右衛門でも観ていたようだが(こちらは大西本ではなく河竹本)、観たことすら覚えていないぞ。(今月の筋書の上演記録には河竹本の舞台が全て省略されており、これでは片手落ちである。)
それはともかく、仁左衛門玉三郎の『牡丹灯籠』。
さすが黄金のコンビだけあって、息がぴったり、本当の夫婦のようであった。
食うや食わずの極貧の頃は、二人で手を取り合って生きてきたのに、生活が豊かになり、年を経るにつれ、夫婦間にすきま風が吹き、夫は外に女を持ち、妻は嫉妬する。
いつの世にもある男女間の機微を、二人は阿吽の呼吸で舞台上で表現していた。観客も、そんな二人に共感し、とりわけ、圧倒的に多い女性客は、玉三郎の台詞ひとつひとつに、激しく反応していた。また、夫婦間の話とは直接関係ないが、幽霊から獲得した小判を、玉三郎が「ちゅう、ちゅう、たこ、かいな」と数えるところは、特におかしかった。(廻り舞台が廻り終わって見えなくなっても、まだ数えていた。)
ストーリー的には、この伴蔵とお峰夫婦が中心で、お露の幽霊にまつわる怪談話の方はあまり印象に残らない。怪談である必要があったのか、と思うほどである。さらに、仁左衛門玉三郎が、最後まで似合いの夫婦であった分、お峰を伴蔵が殺す場面が唐突に感じてしまい、終わり方としても尻切れとんぼのようだったのは(実際、もう一幕あるのではないかと思っていた。)、演出としては課題が残る。
三津五郎円朝と久蔵を演じる。演技とはいえ、マクラを語る落語家振りは、見事であった。馬子の久蔵の方は、前に観た勘三郎の方が、うまい。
吉之丞のお米は持ち役として安心して観ていられた。歌女之丞のお六も良かった。源次郎役の錦之助の台詞廻しに、先代の匂いを少し感じるようになった。お露に七之助、お国に上村吉弥
お梅を壱太郎が勤める。(彼は、もう女形も演れる年になったのか。)
『奴道成寺三津五郎。観る度に、軽やか華やかになっているようだ。
 
・・・この日の歌舞伎座で、会社の若い男女に遭遇。仁左衛門玉三郎よろしく、楽しそうに話している二人の後ろの席にいた自分は、できるだけ気がつかないようにしていたが、こんな時はどうすべきか、反応が難しい。