前進座の『俊寛』

kenboutei2007-10-20

数年振りの吉祥寺、前進座劇場。昔の記憶で行けるかなと思っていたが、駅に降りて見当がつかず、交番で道順を教えてもらい、辿り着く。こんなに遠かったかなあ。自宅を出て、ちょうど一時間。
当日券を購入し、少し時間があったので、劇場の裏手に回る。予想通り、前進座の稽古場と、座員の共同住宅があった。ここに、長十郎も翫右衛門も住んでいたのか、と思いを馳せる。
遅い昼食を劇場地下の喫茶店でとってから、場内へ。
俊寛楽しみにしていた、前進座、梅之助の『俊寛』。
幕開き、こじんまりと丁度良い狭さの舞台に、庵と岩が照明に照らし出される。やがて、影となっていた庵内に光があてられ、そこに立て膝で眠っている、梅之助の俊寛が浮かび上がってきた。
実に幻想的な演出。夢物語に、都の清盛との対立や妻である東屋のことを語って、観客にこれまでの経緯を案内するのは、今月の国立劇場でわざわざ前の場を出すより、よっぽどスマートで良い。前進座の、いわゆる「歌舞伎の批判と継承」の好例であり、大事な財産であるとも思う。そして、この時の梅之助の佇まいが、何ともいえず素敵であった。
この後、康頼は下手の崖を降りて登場。これも文楽を意識した演出で、面白い。ただし、この場で、康頼を目にした俊寛が、「自分の幻影か」と独白するところは、何だか余計なような気がした。
成経は花道から登場し、彼自身が千鳥を呼ぶ。千鳥は、花道で一旦後ずさりするが、松竹系のように揚幕まで引っ込むようなことはしない。
例の「りんにょにゃって・・・」の台詞について、「可愛がってくれ、との意味だ」と解説してくれるのは、丁寧で親切だった。
成経と千鳥の祝言で、舞いを披露するのは、俊寛ではなく、康頼。
都から船が到着。それを迎えるため、一時下手に4人が引っ込む時、俊寛の梅之助が転倒。演技ではなく、どうやらアクシデントだったようだ。
船から瀬尾に続いて、丹左衛門も降りてきて、赦免状のやりとりを、上手でじっと聞いている。これは文楽のやり方と同じで、この方が、瀬尾とは異なる丹左衛門の位置付けが、より理解しやすい。
瀬尾と俊寛の立回りでは、千鳥の加勢が最小限に抑えられている。斬られた瀬尾に対して、丹左衛門が前に瀬尾が言った台詞をそのまま言い返す件はなく、あれは歌舞伎の入れ事だったことを、初めて知る。
千鳥を乗せ、船が出て行く時、扇を翳すのは、丹左衛門ではなく、丹左衛門から扇を渡された成経。しかし、ここはやはり丹左衛門の方が格好がつくし形も良いだろう。
そして、最後の、俊寛の笑み。翫右衛門譲りの、「笑う俊寛」。
こうして舞台の展開を一つ一つ書き出さずにはいられない、とても刺激的な舞台であった。
梅之助の俊寛は、もちろん自分は初めてだが、松竹傘下の役者とは全く異なる、独特の雰囲気を持った素晴らしい俊寛であった。
瀬尾の赦免状を見て、「ない」と嘆き、丹左衛門の赦免状で「あった」と喜ぶ。その心根が全く素直で、俊寛その人のように思えたのであった。瀬尾の息の根を止めた後の、関羽の見得も見事。(ただ、瀬尾と立回りをする梅之助は、動きが相手についていけず、手順が決まっているにもかかわらず、あやうく瀬尾に刺し殺されるのではないかと思わせる場面が二度程あって、ヒヤリとした。)
そして、最後の笑みは、何か自分の仕事をやり終えた、一人の男の満足感のようなものがあった。それは俊寛の満足感でもあり、また同時に、梅之助の満足感でもあったのだと思う。
他の役者も奮闘。
山崎辰三郎の康頼が、実に気品があり、特に俊寛の代わりに舞いを舞うところが良く、康頼がかつては都人であったことが、その舞いで、思い起こされるのであった。
瀬尾を務めた小佐川源次郎は、動きと台詞に力強さがあり、強面ぶりが良い。
国太郎は千鳥で、ついさっきまで海に裸で潜っていたような、野生味ある千鳥であった。
丹左衛門の嵐圭史は、まずまず。成経の広也は、それほど良くなかった。
これを記しているのはすでに火曜日で、新橋演舞場の『俊寛』も観終わっているのだが、三座競演の中では、ダントツの、前進座の『俊寛』の面白さであった。
『人情一夕噺』サブタイトルに「子はかすがい」とあるように、別れた夫婦が、かわいい子供を介して復縁するという人情話。菊五郎劇団でやっても面白そうな話であった。
藤川矢之輔の辰五郎に、菊之丞の女房お浜。ともにはまり役で、前進座の世話物の水準の高さを再認識。特に菊之丞の女房は、夫に愛想を尽かし子供を一人で育てようとする女の意地と、その反面、他の縁談は断り心の底では夫を愛し続けている、揺れる女の心情をうまく表現しており、これまで自分の観た菊之丞の役の中では、一番良かった。
梅雀が脱退し、今後の前進座がどうなるのかと危惧していたところでもあったが、これなら大丈夫そうだと、ひと安心。
帰りは、劇場で偶然会った知人夫婦と駅前で痛飲。