『秋立ちぬ』

kenboutei2009-07-20

神保町、成瀬特集。昭和35年の『秋立ちぬ』。
父親が死んで、東京・築地の親戚の家に預けられた男の子、大沢健三郎が主人公。一緒に上京した母親の乙羽信子は、近所の旅館で女給をすることとなったが、客の加東大介とできて失踪してしまう。その旅館には大沢健三郎よりやや年下の女の子がおり、二人は仲良しになる。この女の子も、実は妾の子で、旅館は、関西に本宅のある父親が、妾である母親に持たせているものであった。子供ながらも親に対する翳りを持つ二人が、海を見ようと晴海に行って遊ぶ場面が、どこか『禁じられた遊び』を彷彿させる。
大沢健三郎の叔父である藤原釜足は、築地で八百屋を営んでいる。奥さんが賀原夏子、娘が原知佐子、息子が夏木陽介。成瀬監督の映画では、商売をやっている家が舞台になっているケースが多い。
また、乙羽信子が愛人を作って失踪し、それきりとなってしまったのだが、やはり成瀬映画では、話の途中で、登場人物がふいにいなくなるということが、よく起こることにも気がついた。
今回の特集で観た映画の中でも、『妻の心』では、失業中の千秋実が金を手に入れた途端に失踪し、それきり出てこなくなったし、『コタンの口笛』では、アイヌ人の水野久美が、和人との恋に破れて失踪し、やはりそれきりになる。また、『女の座』では、高峰秀子の息子(これも大沢健三郎だった)が、唐突に鉄道事故で死んでしまうということが起こる。
自分が思う成瀬映画の最大の魅力は、「終わらない日常」で、それは、ごくありきたりのことが淡々と綴られていくということであるのだが、人の死や失踪も、何かドラマティックに、あるいは事前に伏線を張って予定調和的に起こるのではなく、全く唐突に、しかもさりげなく起こり、そして、それきりになってしまう。我々の普段の日常も、決してドラマティックではなく、誰かと連絡不通になってそのままということもよくあるわけで、成瀬映画におけるこうした突然の喪失も、結局は日常の一部であることを、納得させられるのである。
藤間紫が、女の子の母親で妾役。
戦前の築地、銀座界隈が見られるのも貴重。銀座のデパート(松坂屋かな)の屋上から、晴海の海が見えたらしい。
タイトルは、小津映画と間違えそうなものより、別の方が良かったのでは。(『カブトムシ』とか)