『ガンファイターの最後』

kenboutei2008-04-29

先日の『殺人者たち』が面白かったので、続けてドン・シーゲル・コレクションから。
何とも後味の悪い、とはいえ独特の味がある、不思議な映画。
自動車も走る時代になったにもかかわらず、馬に乗り銃の力で治安を維持しようとする保安官を、町全体で排除しようとする物語。
1969年に作られたこの映画は、ジャンルとしては西部劇であるが、時代遅れの保安官が象徴するように、西部劇そのものが全盛を過ぎていた当時のアメリカ映画の中で、出るべくして出た作品かもしれない。「ガンファイターの最後」とは、その古風な保安官の死のことであるが、同時に、西部劇の死をも意味しているのである。見方によっては、西部劇のパロディであり、ウェスタン映画の歴史の中でも特異な作品と言える。
リチャード・ウィドマークの保安官は、自分のやり方が絶対と信じ、誰とも妥協しない。とはいえ傍若無人というわけではなく、また、相手を撃ち殺すにもそれなりに理由があってのことで、それこそ、これまでの西部劇のヒーローなら許されているはずの行為なのだが、住人の殆どはそれを支持せず、今でいう「過剰防衛による無益な殺人」のような受け止めをしている。こうして保安官はどんどん孤立していくが、この「時代の変化についていけないヒーロー」の悲哀や、「住民の自分勝手なエゴ」といった面白そうなテーマを深く描ききれず、中途半端なストーリー展開と銃撃戦でお茶を濁してしまったのが、残念。(まあ、そこが所謂ドン・シーゲル的ハードボイルド世界であると、言えなくもないが。)
最後は町の有力者たちの一斉銃撃で殺されてしまうという、それはあんまり、という終わり方で、誰に感情移入していいのかわからないまま、何だか観ている方が取り残された感じであった。
ウィドマークの恋人がレナ・ホーンであるが、既に美貌は劣化しており、ヒロインとしては物足りない。
監督クレジットは、アレン・スミシー。もともとはドン・シーゲルの推薦で若手のロバート・トッテンが監督をしていたのが、途中でウィドマークと対立して降板、やむなくシーゲルが引き継いで完成させたものの、トッテンもシーゲルもクレジットを拒んだため、架空の監督名が登場したとのこと。そういう意味では純粋なシーゲル作品ではないが、観ている間は、些かの疑念もなく、シーゲル作品だと思い込んでいた。そう思わせるだけの、シーゲル的世界観ではあったのだ。
主演のウィドマークは、先月死去したそうで、追悼鑑賞となったが、これも観終わった後にネットで知ったことです。

ガンファイターの最後 [DVD]

ガンファイターの最後 [DVD]

ドン・シーゲル コレクションDVD-BOX

ドン・シーゲル コレクションDVD-BOX