『蜂の旅人』

kenboutei2007-07-15

連休中日で睡眠も十分、外は大雨。まさにアンゲロプロス鑑賞日和(?)。
教師でもあり、養蜂家でもある初老の男に、マストロヤンニ。
娘の結婚式を機に教職を辞め、と同時に毎年続けているらしい養蜂の旅に出る。途中で身寄りのない少女と出会い、奇妙な二人の旅が始まる。
冒頭はアンゲロプロスお馴染みの結婚式の風景。祝祭であるにもかかわらず、どこか寂しげなのも、お馴染みのアンゲロプロス調。式が終わり、ふと一人で外に出て、川に架かる粗末な木造の橋を渡るマストロヤンニ。画面左上から霧が静かに漂い出すのが見事。こういう場面一つ一つに身を委ねられる陶酔感が、何と言ってもアンゲロプロスである。
悲しい結婚式は、実は家族崩壊の予兆でもあった。マストロヤンニの旅の出発と同時に、妻は息子の受験の世話でアテネへ行くため、家を離れる。旅の途中、マストロヤンニはその妻の元を訪ね、強引にセックスしようとするのだが、拒絶される。そして、それを機に、少女との関係も、深みに嵌って行く。
その後、マストロヤンニは過去に家出した長女にも会いに行くが、それはもはや自分の家族と別れるための行動であった。
そうした、家族を捨てた(もしくは捨てられた)男と、もともと「過去がない」と嘯く孤独な少女は、お互いに傷つけ合うような愛し方をするのであった。
こういう男女の関係は、どこか日本の私小説や往年のATG映画っぽくもあり、通俗的だが懐かしさのようなものも感じた。
場末の廃館となった映画館の舞台で愛し合った後(少女役ナディア・ムルージの裸体が美しい)、少女は過去を持つのを拒むように、男の元を去って行く。
ラスト、少女に去られて廃人のようになったマストロヤンニは、自暴自棄となって設置していた蜂の巣箱を引っくり返し、地面に突っ伏す。クローズアップした右手には、まだ結婚指輪が嵌められていた。
マストロヤンニの養蜂家は、ジャンバーを着て作業する場面などは、いかにも労務者風のくたびれ感があって良いのだが、スーツ姿になると途端にジゴロっぽくなる。線路沿いを去って行く少女を見送るでもなく、ポケットに手を入れて佇むマストロヤンニは、そこだけ格好良過ぎた。
それはともかく、「家族とは離散するものなのか」という、マストロヤンニの呟きが、今も耳から離れない。少女と男の関係と共に、今の自分には身につまされる映画であった。