『浪華悲歌』

kenboutei2007-02-10

しばらく中断していた溝口DVD鑑賞、今日は松竹から出た『浪華悲歌』(制作は第一映画)。
溝口作品は結構観ているような気になっていたのだが、昭和11年に作られたこの映画を観ずして、いったい何を語っていたのだろう。全く、穴があったら入りたい気分。
去年のシンポジウムで、司会者がおすすめの一本を出演者に聞いていたが、もし自分が答えるなら、今なら躊躇なくこの作品を挙げるだろう。(しかしながら、まだ未見の映画がありすぎる・・・)
父や兄の借金のため、妾になるしかなかったヒロインが、結局そうまでしても家族からは愛されず、「不良少女」のレッテルを貼られるが、それでも前を向いて歩いて行く。
女性の自立をテーマとしたものは、溝口作品には沢山あるが、二・二六事件の起こった年に、大阪を舞台に極めて現代的なセンスで描ききった本作は、驚嘆するより他はない。(そういえば、先に観た『虞美人草』は前年の昭和10年『愛怨峡』昭和12年。我々は、戦前の作品というと、つい古くさいイメージを持ってしまうが、決してそうではないことを、改めて認識すべきだろう。)
女性映画という意味では、『西鶴一代女』なども金と時間をかけてるだけに完成度は高いが、そのインパクトの強さなら、(二十日程度で撮ったという)『浪華悲歌』の方が圧倒的である。何しろ、ヒロインの魅力が決定的に違う。
ヒロインの山田五十鈴は当時19歳。結婚・出産後の復帰第一作だそうだが、純情そうな和服姿の女子社員から、新妻風の日本髷姿、男を弄ぶファム・ファタールな洋装等、変幻自在にイメージが変わり、観る者を幻惑して止まない。目元の力強さと、ちょっと下ぶくれの頬の可愛らしさは、今なら吹石一恵に似ていると思った。(時折、寺島しのぶのイメージにも重なった。)
山田五十鈴を囲う、養子の社長に志賀廼家弁慶、その妻が梅村蓉子。やはり山田五十鈴を囲おうとする事業家に進藤英太郎。彼らの関西弁が、この映画を活き活きとさせている。(その中ではやはり進藤英太郎がうまい。志賀廼家弁慶はどこか上方の喜劇舞台を観ているよう。名前からして、そっちの出身だろうが。)
刑事役で、志村喬も出演。
虞美人草』では可憐なヒロインだった大倉千代子は、ここでは山田五十鈴の妹役で、まあ分相応。
途中、社長と山田五十鈴文楽を観る場面がある。演じられているのは『野崎村』だが、時々、床の後方から舞台を撮っていて、太夫・三味線からの視線はこういう感じなのかと、実に興味深かった。語りは今の太夫よりもテンポが早く、あっさり気味だった。人形遣いは主遣いも頭巾を被っていて、誰が遣っているのかはわからない。首は大江巳之助の作りよりも野暮ったい。会場は二階席もあり、案外豪華な作り。当時は四ツ橋文楽劇場があったはずだが、ここがそうなのだろうか。太夫、三味線が誰なのかは、ネットで調べてもわからなかった。(「指導」として、豊沢猿二郎のクレジットがあったが、映画で弾いていたのが本人なのか? ちなみに人形の方は、桐竹紋十郎が指導であった。)
ラストの、山田五十鈴と医者の田村邦男(この人は『ふるさと』にも出ていたな)のやりとりと、ラストショットは、映画のラストシーンとしては、最高部類の方に入る。
居場所のない家を飛び出た山田五十鈴(アヤ子)は、トレンチコートを着て橋のたもとに佇み(大阪のネオン街が映し出される水面が美しい)、顔見知りの医者と会話をかわす。
医者「何してんねん? こんなところで。」
アヤ子「野良犬や。どないしたらええか、わからへんねん。」
医者「病気と違うか?」
アヤ子「まあ、病気やわな。不良少女っちゅう、立派な病気やわ。なあお医者はん、こないになった女子は、どないして治さはんねん?」
医者「さあ、そら、僕にもわからんわ。」(と言って、去って行く。)
アヤ子もそのまま橋を歩いて行き(ここまでがワンカット)、最後に真っ正面から闊歩する山田五十鈴を撮って、終わる。
トレンチコートを着た主人公のラストシーンといえば、『カサブランカ』や『第三の男』が有名だが、『浪華悲歌』は、それらに先行する作品として、もっと語られるべきものであり、何といっても、バーグマンやアリダ・ヴァリより、山田五十鈴のこのラストの方が、数倍カッコイイのだ。
そして、山田五十鈴のラストの視線は、溝口の遺作となった『赤線地帯』の、あの初めて男に声をかける少女の視線に繋がっていくのだと思った時、感動は倍加した。
早く次の『祇園の姉妹』を観なければ。

浪華悲歌
浪華悲歌
posted with amazlet on 07.02.11
松竹 (2006/11/22)