清治VS住大夫『闘う三味線 人間国宝に挑む』

先日の、鶴澤清治『芸の真髄』公演の舞台裏を取材したドキュメント、NHKハイビジョン特集『闘う三味線 人間国宝に挑む 文楽 一期一会の舞台』を観る。
十数年振りの共演となった、住大夫と清治。「阿古屋」を題材として、太夫・三味線弾きの駆け引きがスリリングで面白かった。
NHKの取材の視点は、もっぱら太夫と三味線のどちらが相手に合わせているのかというところにあり、その攻防を単純に「テンポ」を基準として、結果的に住大夫の間合いに合わせざるを得なかった清治の限界と、逆に清治の弾く手の通りに語りきれない住大夫の衰えをも浮き彫りにしたかのような作り方だった。
それはそれで芸をめぐる戦いとして、緊張感溢れる興味深い内容であったが、ただ、最後に住大夫が言うように、「芸とは、あんたがた(=NHK)が考えるような、そんなものではない。」というところが、やはり義太夫の奥深さなのだと思う。
そもそも、「阿古屋」については二つの流れがあるとし、それを「ゆったりしたテンポ」と「早いテンポ」とだけで説明するのは、あまりに単純化しすぎる。それぞれの流れを住大夫は先代喜左衛門から、清治は四代目清六から受け継がれたとしていたが、『芸の真髄』のプログラムで住大夫が語っていた、音遣いのことや、いわゆる「風」(杉山其日庵の『浄瑠璃素人講釈』では、この段は駒太夫風だそうだ。)について、それぞれがどうなのかを解説してくれなければ、本当に両者の芸の違いはわからないはずである。
対立化・単純化は、テレビの常套手段だが、こういう良質な番組でも、そういう構図でしか作れず、本来の芸については何も触れていない結果になってしまったのは、今のテレビの限界なのだろうが、少し残念でもあった。
そうはいっても、普段あまり話題にならない文楽を取り上げてくれたのは、嬉しいことではあった。
越路大夫とのコンビ終了以降、清治が結果として切場を弾く機会を失っているという話などは、これまで全然気がついていなかった。
住大夫の稽古風景の場面で、再び文字久大夫がこっぴどくやられていた。今回は取材のテーマともあまり関係なく、全くお気の毒だが(「住大夫の怒っている絵が欲しい」という取材陣の意図が見えるようだ)、あの『人間国宝二人』の放送以降、文字久は随分成長しているので、今度もまた期待することとしよう。(「怒られ太夫」と命名したくなる。)