『文楽太棹 鶴澤清治』

kenboutei2007-05-07

国立劇場で、NHKエンタープライズ主催の「芸の真髄」シリーズ。その第一弾として、「文楽太棹 鶴澤清治」の会。(第二弾以降が何なのかはよく知らない。)
終業後すぐに行こうと思ったら部長に呼び止められ、開始30分前に会社を出る。地下鉄は乗り継ぎが不便なため、タクシーで三宅坂へ。(10分程度で着いた。)
大劇場での三味線リサイタル。しかも住大夫が「阿古屋」、簑助が「酒屋」のお園で出演という、何とも贅沢な会。小劇場の文楽公演で初めてチラシを見た時は、びっくりして、すぐに予約申し込みした。平日でどうなるかわからなかったが、無事に来られて良かった。(連休明けの月曜日だったのが幸い。)
観客も、いつもの文楽公演とは異なり、随分と華やか。あちこちでお互いに挨拶しているのは、多分その方面の関係者なのだろう。有名どころでは、葵太夫、小山観翁、高木浩志、鈴木治彦、鳥越文蔵なども来ていた。自分のブロックの近くには、宮沢りえも。薄桃色の和服姿が奇麗だったが、彼女は歌舞伎だけでなく、文楽も聴くようになったのか。
最初の演目は『阿古屋琴責の段』の素浄瑠璃。住大夫、綱大夫の語り分け。三味線は清治、三曲に錦糸、清二郎が加わる。最初の口上が、呂勢大夫。呂勢、今日の仕事はこれだけだった。
いつもの小劇場と違って、広い大劇場では、三味線の音も大夫の声も、趣が異なる。一階の後方で聴いていたということもあり、最初は身体に響いてこない、どこか生感覚から遠い音色に戸惑ったが、だんだん慣れていった。
「阿古屋」は、素浄瑠璃では初めて。三曲を器用に弾きこなす阿古屋や、ちょっと滑稽な岩永の人形が出ないので、何となく物足りなく、ついうとうとしてしまった。ただ、胡弓の清二郎は、聴き応えがあった。小劇場だったら、たぶん拍手喝采だっただろう。
清治と錦糸が揃って弾くのも珍しいこと。並んで同じ調子を弾いているのを聴くと、二人の三味線の音色の違いが分かって面白かった。一言で言うと、「剛」の清治、「柔」の錦糸。
住大夫と綱大夫もステージで並んで語る。岩永と阿古屋が住大夫で、重忠が綱大夫のようだったが、時々その分担がわからなくなってしまった。住大夫が元気で、マイクを通じても声に力強さがあるのが分かった。一方、綱大夫はやや精彩を欠いていた。
次が『弥七の死』という、創作浄瑠璃山川静夫が原作。自殺した十世竹澤弥七についてを、現代語で咲大夫が語り、三味線は清治。いわゆる創作浄瑠璃を自分は初めて聴くが、「語り物」としての大夫と三味線の使い方として、こういう手法があるのかと、なかなか興味深かった。題材によっては、もっと面白いことができるのではないだろうか。
最後が、「文楽ごのみ」と題して、『三番叟・酒屋・野崎村』のさわり集。今日はこれが一番楽しかった。
「三番叟」では富助、清介、燕三ら十挺の三味線が、一糸乱れず音色を奏で、壮観。その後、盆が大きく回り(ここが大劇場ならではの舞台転換)、簑助のお園が登場。上手には清治、嶋大夫の床。「今頃は、半七さん・・・」とくどきをたっぷり。浄瑠璃好きには溜まらないシチュエーション、理屈抜きに楽しめる。簑助の人形が、自分の座席から遠いのだけがちょっと残念。
再び盆が回り、最初の十挺の三味線に清治、嶋大夫も加わって、「野崎村」。これも壮観。嶋大夫がノリノリで語っているのも、なかなかチャーミングであった。そして、十一挺の三味線の大迫力。三味線音楽のエンタテイメント性をたっぷり味わった。
お腹いっぱいで会場を後にする。いつもの文楽でも三味線多数での演奏はよくあるのだが、今日は、さらに音楽としての太棹の魅力が存分に引き出されていたと思う。今後も、こういう会を沢山開いてほしいものだ。(平日ならもっと遅くに開始してほしいところだけど。)