七月歌舞伎座昼の部

kenboutei2006-07-23

今月初の歌舞伎観劇。随分久しぶりのように感じる。
今月の歌舞伎座は、玉三郎による泉鏡花月間。鏡花作品はあまり読んだことがなかったのだが(「高野聖」くらいかな)、この機会に原作の戯曲を(何しろ文庫本が薄かったので)読んで臨む。
『夜叉ケ池』
鏡花の原作で一番面白かったのは、この話だった。
村の鐘を定期的に撞き続ける限り、その村を水没させないという約束を龍神と交わした鐘楼守の老人の死後、旅の途中で村を訪れた男が後を引き継いで鐘を撞いている。しかし、すでにその約束を、村人の殆どが信じていない。
こういう設定は、何だか星新一のショート・ショートに出てきそうである。(「宇宙人との約束で、地球を守るために奇行をする男。誰も信じず、その奇行をやめさせた途端、空から円盤が・・・」みたいなストーリー。「自分が観戦しなければ、贔屓のチームは勝つ」と信じるようなのも、これに近い。)
まあそれはともかく、猿之助一門の若手による、鏡花戯曲への挑戦。
冒頭、春猿が小川で米を研いでいる。その髪が白髪で、後から出てくる夫の段治郎も白髪で登場。(この二人はもっと若いはずと驚いたのだが、ともに鬘であることが後にわかる。原作もそういう指定であり、いかにいい加減に読んでいたのかと、反省。)
その白髪の影響もあったのかもしれないが、春猿の百合を、一瞬玉三郎が演じているのかと思った。
段治郎も春猿も、それから右近も、鏡花の台詞をできるだけ丁寧に表現していたようで、その点には好感が持てた。
その中では段治郎の晃の台詞廻しが、弱くていま一つ。鏡花の台詞で個人的に気に入っていた「死ね、死ね、死ね、民のために汝(きさま)死ね。」なんかがあっさりだったんで、少し肩透かし感あり。
春猿の口跡は、鼻がつまっているのか、舌が短いのか、台詞がボツボツと途切れてしまうのが難。
全体としては、正直言って退屈だった。蟹やら鯉やらが出てきた頃には、うとうと。鐘を撞く約束を守らず、村が海に沈む場面は、浪布を使うのだが、あまり迫力がない。
90分は長過ぎる。今の観客には、その半分で充分なのではないだろうか。
春猿の百合と白雪姫の二役は、なかなか似合っていた。春猿は、古典はともかく、こういう芝居には適性がある。
百合を笑也にやらせるのも面白いと思った。(そういえば、何故か今月は笑也が出ていない。)
『海神別荘』
日生劇場のは見逃したので、今回が初見。
『夜叉ケ池』とは反対で、原作の方はそれほど面白いとは思わなかったのだが、舞台は、その美しさで圧倒される。久しぶりに、舞台芸術に陶酔した。(海の中の世界のイメージは、鏡花というより、初期の谷崎文学の世界に近いと思った。)
海老蔵の公子。天野喜孝の美術のせいか、アニメ的コスプレ的。しかし、その美しさに、言葉を失う。この衣装が許される役者は、日本でもおそらく海老蔵ただ一人だろう。(今思うと、新橋演舞場の『信長』のコスチュームも、『海神別荘』の公子に影響されていたのかもしれない。)
格闘技の世界では、最近、「絶対王者」などという表現が使われているが、海老蔵の公子を観ていると、「絶対公子」という言葉が浮かんできた。(海老蔵の場合は、「絶対皇子」という漢字の方がぴったりくるかな。)
それほど、海老蔵の公子の「姿」は完璧であった。
ただ、相変わらず台詞のトーンが不思議。はじめのうちは、あえて力強さを抑え、ソフトな感じで話をする。これは、公子の無垢で純真なイメージを作り出そうとしているのであろう。それはそれで理解できないでもないが、後半、サメと戦うあたりからは、だんだん声も太くなり、最後は暴君的な感じさえする。そして、公子のイメージとしては、後半の方が海老蔵の柄とも合っているのだが、どうも海老蔵自身はそう思ってはいないようなのだ。この公子のイメージは、まだ模索中といったところか。(前半のソフトな感じのところは、「ハウルの動く城」のハウルにも似ているように思った。)
玉三郎の登場シーンは、幻想的で息を呑む。
白い竜の造形と、その背に乗って揺れている玉三郎。スクリーンを利用した背景を含めて、海の中を輿入れしている様子が、見事に表現されている。先導する女房の笑三郎もなかなか良い。
まさに玉三郎の美の世界。そこに耽っているだけで、時を忘れてしまう。
錆びた大碇に太綱で縛られる、白い玉三郎の姿。(この場面も谷崎っぽい)
血の杯をかわす、共に白いマントの海老蔵玉三郎のツーショット。
徹底的に趣味の世界だが、非常に気に入ってしまった。畏れ入りました。
上手袖のハープ演奏も、この世界にぴったりだった。
惜しむらくは、この天野喜孝の美術セット、歌舞伎座の舞台でも狭過ぎる。特に、上下の空間が狭いので、海の世界の深さを描くには、物足りないと感じた。
最後は静かなカーテンコール。
歌女之丞、京妙と一緒に出ていた侍女の一人を、ずっと升寿だと思い込み、随分若作りし、しかも可愛いなと驚嘆していたのだが、後で筋書で確認すると、松之亟だったようだ。
・・・そういえば、海の世界に輿入れした美女が、もう人間界からは蛇体にしか見えず、海の世界では美女のままだという「オチ」は、ブラッドベリの作品で、異次元の世界に生まれてしまった赤ん坊を取り戻すために、自分達が異次元に入った夫婦の話を思い出させた。
鏡花の世界は、結構面白い。(が、自分は鏡花の台詞にはあまり関心がなかったことにも、今気がついた。)