三月平成中村座 勘九郎襲名 夜の部

kenboutei2012-03-11

今回も二階席で観劇。
『吃又』初めて観る仁左衛門の又平。
六代目が作り上げたという、悩める芸術家としての又平ではなく、近代以前の又平像。端的に言えば、深い心理はないが、自分の感情には率直な、人形浄瑠璃の持つ素朴さが伺えた。仁左衛門の又平の嘆きは、絶望ではなく、諦め。「指も十本」の後に抱き合うのも、夫婦愛の強さ。感情の浮き沈みがわかりやすく、また、上方風のコミカルさも併せ持ち、芝居が重くならない。そこが新鮮であった。
将監の妻が出ず、代わりに下女が登場、九段目の下女りんのような演出も、上方風で初めて観た。また、将監が竹薮に出た虎を見る時、腰掛けを出したり、二重の上座にも机が置いていたりするのも、上方演出か。
勘三郎のおとくは、仁左衛門の芝居をしっかり受け、安定。病気も回復した感がある。又平の大頭の舞に合わせて打つ鼓がうまい。
亀蔵の将監が手強くて良い。
新吾の修理之助。女形よりこうした立役の方が良いと思う。引っ込み時の刀のさばき方などは、まだ不器用。
猿弥の雅楽之助。
『口上』平成中村座で口上を観るのも、たぶん初めてか。隅田川に満開の桜を描いた金子國義の襖絵が良い。(実際に、その後ろには隅田川が流れているのだ。)

  • 勘三郎:歴代勘九郎中村座の変遷を紹介。猿若町中村座が移転した時は、ここ今戸の土を運んだとのこと。三十代の新勘九郎。芸はこれから。今回も五郎蔵は仁左衛門に教わっている。ありがたい。
  • 我當:初めて平成中村座に出座。勘九郎は、先月新橋での「鏡獅子」「土蜘」ともに立派だった。泉下の十七代目勘三郎も喜んでいるだろう。松嶋屋中村座の関係でいうと、八代目仁左衛門が、長年中村座の座頭であった。
  • 進之介:高校の時、「歌舞伎のどこが良いのかわからない」と公言していた友達が、突然、(当時の)勘九郎のファンになった。人の価値観はこうも変わるのかとびっくり。
  • 海老蔵:初めて平成中村座に出させてもらって嬉しい。勘九郎とは、「夏祭」「四谷怪談」「寺子屋」などで共演してきた。情熱的で真面目な男。自分も情熱はあるが、真面目ではないので(ここで笑いが起こる)、真面目さを見習いたい。また父の勘三郎が、病気から完全に回復。歌舞伎にはなくてはならない人なので、とても嬉しい。
  • 仁左衛門:東京で違う劇場で二ヶ月続けて襲名口上というのは、これまでなかったことだそう。それに自分も続けて参加できて嬉しい。五郎蔵は、自分は十七代目から教わった。まだ自分でも完全ではないものの、教わったことをそのまま伝えている。勘九郎は決して器用ではないが、努力の人。これからも努力して。
  • 扇雀:父の勘三郎とは、公私、昼夜違わずお世話。その縁で、歌舞伎の歴史に残る平成中村座での口上に列座できて嬉しい。勘九郎とはクドカンの芝居で上に乗っかる女郎をやった。
  • 亀蔵:来月は「法界坊」ある。よろしく。
  • 笹野:(淡路屋!の声しきり)勘三郎が襲名した時、勘九郎の名前がなくなるのに納得いかず、勘三郎に絡んだことがある。今回やっと勘九郎の名前が復活してくれた。良かった。でも、今度は勘太郎の名前がなくなるのは・・・。(挨拶の時に、洒落て裃をしごいた時、我當がチラ見していた。)
  • 七之助:兄とは初舞台からずっと一緒。これからも二人で精進していく。
  • 勘九郎:父が勘九郎時代に熱意で作ったこの平成中村座の舞台で、同じ勘九郎の名前を襲ぐことの重さを受けとめ頑張る。
  • 勘三郎:最後に改めて。中村座の座頭だった八代目仁左衛門の句が残っている(句の中味は失念)。成田屋も、初代の初舞台は中村座。と、いろいろ中村屋と所縁のある方に口上を述べてもらい、また、縁も所縁もない人まで(笹野が反応し、ここで大爆笑)、ありがたいこと。何はともあれ、隅から隅まで・・・。

『御所五郎蔵』幕間に、即席の仮花道が設置される。
勘九郎の五郎蔵、海老蔵の土右衛門。たいていこの芝居はウトウトしてしまうのだが、今回は、この若い二人のやり取りが面白く、寝ないで観れた。単なる黙阿弥の様式美を超えた、新勘九郎海老蔵という、まさに時代に乗った若き二人の男の意地の張り合いが、生に伝わってきた。だから眠くならなかったのだろう。
海老蔵も、昼の『暫』とは雲泥の差、口跡も昼ほど破調ではなく、まずまず聴いていられる。
勘九郎の五郎蔵は、きっぱりとしていてシャープ。このシャープ感は、上二代の中村屋にはない芸風で、勘九郎の新しい魅力であり武器でもあろう。腕の伸ばしよう、足の出しよう、裾のまくりよう、どれをとっても動きがきちんとしていて、ダラダラとやっているところ、雑なところが一つもない。だからとても気持ちが良い。これは、昼の大蔵卿にも言える。床机を使った型の美しさ、花道での「晦日に月の出る廓の」の台詞の良さ。程よい広さの劇場とのバランスも相俟って、実に存在感ある五郎蔵であった。海老蔵との扇を使った杯のやりとりも、今回初めて面白いと感じた。
七之助の逢州が良い。扇雀の皐月を凌駕し、立女形と錯覚するような風格(ちょっと言い過ぎ?)。出てきた時が美しく、空気が変わった。登場や存在のみで客を魅惑する、歌舞伎で一番大事な部分が備わってきたような気がする(やはり言い過ぎ?)。
国生の秩父重介、大人の芝居の中でようやく馴染んできたようだ。台詞もまずまず。
笹野高史の花形屋吾助は、やはり黙阿弥の芝居からは逸脱。台詞を噛み砕いてわかりやすいし、黙阿弥調も意識はしているが、どうしても歌舞伎のパロディを観ているような気になる。
最後は勘九郎海老蔵で、「これより所作事」で幕。
『元禄花見踊』児太郎、虎之介、鶴松、宜生、国生。お遊戯レベルかと思って観ていたが、案外面白かった。中では最年少の宜生が一番良い。酔った振りとか、芝居っ気があり、驚いた。児太郎は、女形になると、やはり福助に似ている。裸武者など余計なことはせず、女形で行くべきだろう。