三月平成中村座 勘九郎襲名 昼の部

kenboutei2012-03-04

勘九郎襲名興行は、新橋演舞場から平成中村座に劇場を移し、二ヶ月目に突入。今日は昼の部。この小屋で初めて二階席で観る。小じんまりとした劇場の全体が見回せて案外良い。
『暫』海老蔵の『暫』。日生の弁慶よりはまだマシだったが・・・。
3年振りの『暫』だが、甲の声のオブラートに包んだような、こちらがモゾモゾと落ち着かなくなる発声や、全体的に平板な調子、最後の引っ込みで「うーん、うーん」と唸る悪癖は、全く変わっていない。帰宅後に感想を簡単にメモし、その後に3年前の感想を確認したら、同じ事を指摘しているので、笑ってしまった。横顔の錦絵的立派さも、同じ感想。つまり、海老蔵は何も変わっておらず、自分が感じる発声の悪癖も、海老蔵にとっては、そうではないということなのだろう。(自分の見方が変わっていないということでもあるが。)
一方で、平成中村座の舞台で『暫』を観るのは、なかなか良い。同じような古典的様式美であった先月の『対面』では、予想に反して劇場の狭さが不利に働いたが、『暫』はこの狭さが良い。鎌倉権五郎の大きさが、一段と映えて見えるし、二階から見下ろすと、浮世絵でよく観る劇場図そのもので、雰囲気があった。

我當がウケで出演。最初は台詞が覚束なかったが、後半はさすがに座頭クラスの存在感があった。息子の進之介も久しぶり。そんなに違和感はなかった。父親にも似てきた。
他に七之助、猿弥、男女蔵。山左衛門の腹出しは珍しいが、台詞がぞんざい。
3年前の感想では、それでも新しい歌舞伎座海老蔵の『暫』が観たいと書いているが、今日の出来のままなら、ちょっと遠慮したい。(襲名時の感動はどこへ行ってしまったのだろう。)

『一條大蔵譚』勘九郎の襲名披露狂言。実に新鮮で、かつ立派に大蔵卿を演じきった。
もっとも、「檜垣」はそれほどでもない。作り阿呆の顔が子供っぽく、わざとらしさが垣間見えてしまう。
しかし「奥庭」はすこぶる良い。弓を引く仕種で糸に乗って形になるところなどは、きっぱりと美しい。このシャープさは、中村屋の芸風とはひと味違う。その違いがむしろ面白く感じる。丁寧さ、一生懸命さ、その成果としての形の美しさ。観ていて気持ちの良い大蔵卿であった。
(とはいえ、帰宅後、十七代目の大蔵卿をビデオで見直すと、やはりこれは凄い。先代勘三郎は、ただ普通に歩いているだけで、何も芝居をしていないのに、大蔵卿に見えてしまう。歩き方まで気を遣い、一生懸命大蔵卿を演じている勘九郎にはまだ到達できない領域。もちろん、これは年輪の差なので、勘九郎は今のままの一生懸命さを大事にしてもらいたい。)
仁左衛門が鬼次郎で付き合うが、あまり面白味なし。お京は七之助だったが、仁左衛門に伍して健闘。
小山三がなんと鳴瀬で大奮闘。次々と大事な役を与えられることで、若くなっている。長生きの秘訣。
扇雀常盤御前は、声の抑揚が良くない。
舞鶴雪月花』桜の精で七之助。形がきれいに見えるようになった。仁左衛門が孫の千之助とキリギリス、ではなく、松虫。スッポンから登場し、スッポンから退場。恰好だけでも微笑ましく、面白い。
最後は勘三郎の雪だるま。溶けていき、雪をかき集めるところが面白い。舞台奥が開き、朝日が上り、とうとう雪だるまが溶ける。

十一月からロングランの平成中村座であるが、ようやく春が来た、という感じ。