二月新橋演舞場 勘九郎襲名・昼の部

kenboutei2012-02-12

勘九郎襲名の昼の部。夜の部を観に来た時も思ったのだが、新橋演舞場は、ロビーの狭さに加えて照明が暗く、せっかく襲名興行で着飾った客が多くても、その華やかさがさっぱり感じにくい劇場である。結果として、襲名興行を観たんだなあという実感も、何だか覚束なくなっている。
『鳴神』橋之助鳴神上人七之助の雲の絶間姫。
橋之助の鳴神は、顔も身体も立派、台詞も悪くはないのだが、どうもこちらに響いてこない。これはこの役に限ったことではなく、橋之助にいつも感じることである。おそらく、規格通りすぎるのかもしれない。鳴神の場合だと、もう少し枠からはみでた色気やユーモアが、橋之助の中から自然に滲み出たなら、もっと面白くなるのではないか。国立劇場の鑑賞教室で見せる分にはこれで十分だと思うけれど、今日の襲名興行では、もちろんそれ以上のものを期待していたのだから。
七之助の雲の絶間は、逆に今は規格通りの方が良い。この前の弁天小僧のような規格外れをしょっちゅう見せられても困る(それはそれで魅力的だったが)。今日は、花道の出は、平凡、舞台で坊主とやりとりするようになってからは、まずまず。
亀蔵男女蔵の白雲坊・黒雲坊が、とても良かった。
『土蜘』勘九郎最初の披露狂言三年前の浅草歌舞伎を観ているが、もうすっかり忘れていた。帰宅後確かめるとベタ褒めで、読み直しているうちに、だんだんその時の印象が甦ってきた。
今日の勘九郎は、その浅草初役時を凌駕。何だか完成品のようだった。個人的には、夜の部の『鏡獅子』よりも、こっちの方が良いと感じた。そう思ったのは、後シテの差である。『鏡獅子』の後シテである獅子の精は、確かに悪くはなかったが、勘太郎時代に再三演じていた勘三郎との『連獅子』における子獅子のイメージからあまり変わらなかったのに対して、『土蜘』の土蜘の精は、浅草の時より進化し、迫力や動きの勢いに加えて、様式的な美しさが加わっていた。そこが、今日の舞台で強く感じた部分である。
この『土蜘』は今後、ますます進化していくだろう。それをこれから見続ける楽しみが、また生まれた。
狂言勘三郎仁左衛門吉右衛門芝雀が付き合う。頼光に三津五郎、胡蝶は福助、保昌に橋之助。その他成駒屋ファミリー総出の、豪華な襲名披露狂言であった。

『河内山』仁左衛門の河内山は、初役時に歌舞伎座で観た時の印象が強く、今日は、その印象からややスケールダウン。手強さが薄れ、愛嬌が濃くなった。前回同様、「質見世」が良かった。後家おまきに秀太郎、和泉屋清兵衛に我當と、黙阿弥の江戸歌舞伎を上方の松嶋屋で演じるが、不思議に違和感はない。
勘九郎が出雲守で出るが、この役は勘九郎のものではない。
北村大膳の由次郎が大奮闘。