十一月新橋・夜の部 菊之助の『娘道成寺』

kenboutei2011-11-03

菊之助が一人で京鹿子娘道成寺を踊るのは、平成11年の浅草歌舞伎以来、12年ぶり。以前にも記したが玉三郎との『二人道成寺』が松竹のキラー・コンテンツとして連発されたことが、菊之助本人が一人で正面からこの大曲に挑むチャンスを奪ってしまったと思っている。それが贔屓としては残念でならなかったのだが、今日の舞台の素晴らしさを観ると、あながちあの『二人道成寺』は無駄ではなく、しっかりと菊之助の滋養になっていたことが、よくわかった。
今日の菊之助で特徴的だったのは、非常に表現豊かな踊りになっていたこと。詞章の一つ一つの意味を把握し、それに合わせた手振り身振りがとても分かりやすかった。もちろん、日本舞踊であれば、詞章に合わせた身振り手振りは当然だが、菊之助の場合は、その所作に余裕が持てるようになり、ゆったりとした間合いでいながら充分な表現ぶりであり、その結果踊りに濃厚さが加わったように感じた。顔の表情もそれと連動して豊かになっている。(顔の表情では、陶酔感が強く出過ぎる箇所もあったが。)
花道も、以前より飛躍的に濃厚となっていた。特に、「さりとては」で扇を口にくわえて、後ろ向きから振り返り、鐘を睨むところなどは、鐘への思いが身体全体から溢れ出ており、この辺などは、玉三郎と二人で沸かせた所作の成果がはっきり出ていた。
烏帽子をつけての乱拍子から中啓の舞に至るところで見せる、折々の身体のひねり具合なども、腰が入っていて美しい形になっていた。両腕を水平に開いて形になる場面も同様に美しかった。
花笠踊りは、実にゆっくりと笠を回す。
恋の相手がそこにいるかのように迫真的であったクドキも良かったが、一番素敵だったのは、「ただ頼め」からの手踊り。青地の着物が菊之助に良く似合っていたのと相俟って、後ろ向きでの手踊りの面白さを堪能した。(もっとも、帰宅後、梅幸のビデオで同じ箇所を観てみたのだが、梅幸はもっと面白かった。まあ、当然だけれど。)
これまでの菊之助は、どちらかというとクール・ビューティーな感じであったが(もっと端的に言えば、色気が足りないということだが)、おそらくは玉三郎との共演によって、妖艶さと濃厚さが身に付いてきたのだろう。もちろん、そのどちらもまだ玉三郎には及ばないものの、これに加えて菊之助の場合は、梅幸から続く音羽屋系の清廉さを併せ持つことで、女形としての魅力がより鮮やかに多様となる。今後がますます楽しみだ。
新しい歌舞伎座の杮落しは、新歌右衛門襲名との噂が従来からあるが、叶う事なら、菊之助梅幸襲名(八代目菊五郎でも良いけれど)と「娘道成寺」の披露となれば、こんな慶賀なことはない。(そんな夢想をするより、もう一度観に行く方が先かな。)
田之助が所化で烏帽子を渡す役。
 
久しぶりに息を詰めて舞台に見入った「道成寺」に比べて、その前後の芝居は、どちらも気の抜けたビールのようで、時々眠気を覚えた。
外郎売は、松緑外郎売。今月は七代目梅幸十七回忌、二代目松緑二十三回忌の追善ということで、途中に当代松緑の口上がつく。梅幸松緑の他、松助の七回忌であることにも触れ、もうそんなに時が経ったのかと驚く。
松緑外郎売は、剥き身の隈の顔が立派になった。早口言葉は、祖父の死後は團十郎に教わったせいか知らないが、團十郎同様のモタモタ感(或いはネバネバ感)がある。
三津五郎が工藤で、立派な座頭の風格。
松助の遺児、松也が十郎だったが、顔がむくんで老けて見え、あまり精彩がなかった。
梅枝が大磯の虎で、こういう古典劇の女形にぴったりの容姿。
 
『髪結新三』は、菊五郎の新三、時蔵の忠七、菊之助の勝奴、三津五郎の大家という新鮮な組み合わせで期待していたのだが、案外つまらなかった。
菊五郎の新三が立派過ぎて、既に左團次の源七親分と同格か、それ以上に見えてしまった。冒頭の髪結いの場面では、道具を置く距離感を誤り、途中で手元に引き寄せ直していた。
菊之助の勝奴は写実に過ぎる。救出されたお熊を見る目も、菊五郎の新三以上に色気があってはいけない。(花子の色気がまだ残っていたのか?)
三津五郎の大家は、今ひとつ菊五郎との息が合っていないのと、十五両のやりとりが、あっさりし過ぎた。
時蔵の忠七も、柔らか味が薄く、お熊との恋仲に説得力を感じなかった。
梅枝のお熊も、『外郎売』の傾城姿とは異なり、娘役としては可愛らしさが足りない。
左團次の弥太五郎源七は、この芝居の中では一人だけ大仰過ぎて浮いていた。
良かったのは、秀調の善八と、菊十郎の鰹売りくらいかなあ。
菊十郎の鰹売りが、鰹を捌き終わって帰る時、天秤棒の片方が外れているのに気がつかないでいたのを、菊之助がさりげなくフォローしていたのが、印象に残った。