『六條ゆきやま紬』

kenboutei2010-01-30

神保町。松山善三監督の『六條ゆきやま紬』。昭和40年。
高峰秀子は、裏日本(多分)の豪雪地帯の温泉芸者で、伝統工芸「ゆきやま紬」の老舗六條家の当主(神山繁)に見染められて嫁ぐが、夫は工場拡張の借金苦で自殺してしまい、元々結婚に反対していた姑らの執拗な追い出し工作を受ける。それでも、夫が死をかけて守ろうとしたゆきやま紬のために奔走するが、結局使用人のフランキー堺と共に、家を去って行く・・・。
話はあまり明るくはないのだが、圧倒的な豪雪地帯の存在感が凄い。撮影は岡崎宏三。
殆どは美しい雪景色の中での物語だが、冒頭は、荒れ狂う日本海(多分)の海岸沿いの掘立て小屋に、高峰秀子が暴風に抗いながら入っていくシーンから始まる。ここは彼女の実家で、何人いるかわからない程の家族が、ひしめきあっている。「ハハキトク」の電報で帰ってきたのだが、母親役の杉村春子は全く元気で、これも姑の追い出し作戦の一環であった。杉村春子はあんなひどい家に戻ることはないと言うが(とはいえ、この小屋も、とても住めたものではないが)、高峰秀子はむしろ闘争心を燃やしながら、六條家に帰って行った。
撮影の美しさは極めて伝統的で格調高い。ただ、松山善三の演出は、豪雪で閉ざされた村社会の前近代性を、簑を被った通行人や、噂をしあう村人の目、噂のフレーズ(「奥さんと治郎が・・・」)の多用などで、多少前衛的に描き過ぎたきらいがある。(オープニングのタイトルロールのバックも、目だけを強烈な露出でクローズアップしたもので、最初から落ち着かない雰囲気にさせていた。)
高峰秀子には、神山繁との間に男の子を設けているのだが、この母子関係が殆ど描かれない(六條家の跡取りとして、姑側の道具程度にしか扱われない)のも、少し都合が良過ぎる。
フランキー堺が、高峰秀子を守る使用人・治郎役で好演。その恋人で、高峰秀子に嫉妬して自殺してしまう大空真弓は、『台所太平記』よりは可愛かった。
それにしても、姑役の毛利菊枝は、相変わらず恐ろしい。