七月歌舞伎座昼の部 玉・海老の『千本桜』

kenboutei2008-07-27

七月昼の部は、玉三郎海老蔵で『義経千本桜』の半通し、狐忠信編。
思えば、自分が初めて歌舞伎を観たのが、平成4年12月の歌舞伎座猿之助玉三郎のこの『千本桜』だった。玉三郎が今度は海老蔵を相手にするとは、何だか感慨深い。
とはいえ、今回の昼の部は、11時30分開演で35分の休憩が2回、終わりも午後3時15分で、正味の舞台は2時間半程度というコンパクトさ。夜の部も変則だったが、歌舞伎界(松竹)も、値段は変えずに中味を減らす、最近の食品事情と同じようになってきたのか。(消費者センターのようなのがあれば、クレームの一つも言いたい気分。)
『鳥居前』海老蔵の忠信、段治郎の義経静御前はこの場だけ春猿。弁慶に権十郎。市蔵の早見藤太。
海老蔵の忠信は、火焔隈は立派であったが、ただ怒鳴っているだけで、荒事の演技としてのレベルが低い。立ち姿や歩き方も、やや猫背で姿勢が悪く、荒事としての、きっかりとした大きさに欠けた。花道七三での藤太と一緒に首を振るところも、力強さがなく平凡。
ただ、最後の引っ込みだけは面白かった。海老蔵は色々な顔の表情をするのだが(本来良くないことだろうが)、その表情の一つが、ついこの前テレビで観た、猿翁の弁慶の表情にそっくりに見えたものだから、驚いてしまった。まさか意識して真似ているわけではないと思うが、猿之助に習っている芝居で、猿翁を思い起こさせるとは、つくづく不思議な役者である。
権十郎の弁慶が、それほどでもなく期待外れ。特に、花道からの最初の出が、ただちょぼちょぼと歩いているだけで、つまらなかった。
春猿静御前は、縛られて佇む姿が妙にエロチックであった。
この場で一番良かったのは、市蔵の早見藤太。ただ一人だけ、古典歌舞伎の芝居。
吉野山玉三郎静御前海老蔵の忠信。昼の部で良かったのを強いて挙げるとしたら、この一幕だろう。いつもの道行とは違い、竹本のみの新演出。静御前は花道から登場せず、上手の山道に、板付きで登場。下手には『妹背山』と同じ装置で吉野川が流れる。
玉三郎は、他を圧する堂々とした静御前。立女形の貫禄充分。それでいて若々しさと美しさも健在。海老蔵もこの場は神妙で良かった。
玉三郎の静と海老蔵の忠信は、主従の関係がはっきりしていて、それが良かった。現実の役者としての関係が反映しているせいかもしれない。
その一方で、鼓を介して二人で行う所作や、ふと手が触れ合った時に玉三郎が見せる表情には、男女の色恋も匂わせて、それはそれで面白い。(どちらかというと、玉三郎の方に、「若いパートナーと踊れて嬉しい」といった感じの表情が見て取れた。)
狐のぬいぐるみが出てきたり、源平合戦の場面を床に合わせて二人で表現する場など、2月に観た文楽の道行に近く、興味深かった。
しかし、わずか40分足らず(藤太は前の場で忠信に殺されたので出てこない)で、いつもの男雛・女雛の場面もなく、ちょっと物足りないと感じたのも事実。海老蔵の忠信には、最後は花道に引っ込んでもらいたかったし。
『四の切』海老蔵の、猿之助バージョンの忠信。新橋演舞場の時と比べると、本物の忠信の方は、台詞廻しなど少し進歩したような気がする。狐忠信の方も、息つぎの仕方を工夫しているところをみると、狐詞を勉強していることはわかるが、その成果はまだまだこれからといったところ。(実は親父と一緒で不器用なのかな。)
狐忠信の演技としては、玉三郎静御前と対峙していた時はまだそれなりに見られたが、鼓をもらってからは、何だか暴走気味。暴走狐。
今日の海老蔵を観て痛切に思ったのは、できるだけ早く、音羽屋型の「四の切」を勉強してほしいということである。澤瀉屋のようなケレンは、本来、元の型をしっかり身につけてからでないと、うまくできないものである。(猿之助も「型破り」と「型なし」の違いを言っていたはずである。)
今のように自由に狐を演じているだけでは、澤瀉屋型ですら自分のものにできないだろう。(派手なので、それなりに観られるけれど。)
・・・今月の国立を見せたかったものだ。