『残菊物語』

kenboutei2005-11-29

松竹110周年祭のプログラムで、溝口の『残菊物語』。シネスイッチ銀座
五代目尾上菊五郎の養子、二代目尾上菊之助と、五代目の実子(後の六代目)の乳母であったお徳との恋物語。いつか是非観たいと思っていた映画でもあった。(歌舞伎が好きになってからは、なおさらその思いが強くなっていた。)
冒頭は、楽屋で「東海道四谷怪談」のお岩の支度をしている菊之助花柳章太郎)。舞台に入ると、隠亡堀の場の戸板返し。お岩から小仏小平に変わる。更に早変わりで与茂七に。幕となって、楽屋に戻った伊右衛門役の五代目菊五郎河原崎権十郎)が菊之助にダメ出しをする。明治時代の歌舞伎の雰囲気が溢れんばかりに伝わり、わくわくさせられた。戸板返しのトリックが稚拙だったり(小平に変わる時は、単に首を穴から出しているだけだが、首と作り物の胴体との違いがはっきりわかり、観光地の記念パネルみたいだった。)、「薬下せえ」の台詞の調子も今とは違っていたり(「旦那様、薬を下さい」の一言だけだった。)で、非常に興味深い。
未熟な芸であるにもかかわらず、御曹司であるが故に、ちやほやされる菊之助。ただお徳だけが自分の芸に意見してくれたのをきっかけに、菊之助はお徳と一緒にいることを好むようになる。
周囲の噂になっているのにも気づかず、隅田川(?)の花火大会の見物もせずに、お徳と話す菊之助。ここでの、お徳と菊之助が台所ですいかを一緒に食べるシーン(お徳が自分の簪で菊之助のすいかの種を取ってあげたりする)が好きだ。
やがて、乳母であるお徳は暇を出され、憤った菊之助は家を出て大阪へ。後にお徳も大阪へ。一緒に住み始め、お徳が自分のへそくりで買った鏡台が届けられた時、菊之助を「あなた!」と呼ぶ。その一言だけで、菊之助の実質的な妻になれたことへの喜びと自負と自信が伝わってきた。このお徳役の森赫子、声が非常に艶っぽい。長廻しが多くアップが少ない溝口映画では、顔の表情などがはっきりしないのだが、この「あなた」以降は、色気のある表情になっていたのもわかった。
さて、大阪での菊之助は、松幸と名乗り、尾上多見蔵の庇護下に入るが、高齢の多見蔵が亡くなると、途端に役を失い、旅回りの身となる。どさ回りは惨めで、座長は夜逃げし、その上、女相撲に興行を乗っ取られ、お徳は病気に。二人が流れ着く名古屋の木賃宿のシーンは天井裏からのユニークなアングル。ここで東京からの歌舞伎興行があるのを知り、お徳は単独で、菊之助の幼馴染みの中村福助(後の五代目歌右衛門だと思う)に、菊之助復帰を頼みこむ。福助の父、四代目芝翫守田勘弥と相談し、福助の代わりに墨染を演じて良ければ、東京に連れて帰ることを約束するが、それはお徳が身を引くことが前提であった。
ここで演じられる「関の扉」も面白い。舞台の幅の狭さと、それに伴う観客との密着感と熱気が、スクリーンを通しても伝わってくる。菊之助花柳章太郎の墨染は、動きがもっさりしているが、それがかえって古風に見える。どことなく、写真でみる五代目歌右衛門に似たイメージを持った。
菊之助の舞台は認められ、晴れて東京へ。しかし、もちろん、お徳は帰れない。
東京での復帰舞台は、父菊五郎福助(?)と三人での「石橋」(のような、しかし復帰記念の口上がつく)。毛振りがバラバラなのはご愛嬌。
その後、菊五郎の発案で、大阪への凱旋興行。菊之助が立役者として船乗り込み。当時の大阪の船乗り込みの豪華さ(夜にやっている。提灯は「角座」)は見事だった。水面を進む船の美しさ。昔観た溝口の『近松物語』をふと思い出した。
この船乗り込みの直前に、大阪に戻っていたお徳が臨終間際であることを知る。父菊五郎の、「女房の所へ行ってやれ」という台詞が泣かせる。(だったらもっと早くに許してやれとも言いたくなったが)
お徳は、虫の息で、自分の見舞いより、贔屓への挨拶が大事だと、船乗り込みに戻るよう、促す。この時のお徳の理詰めの説得が、またまた泣かせる。
やがて、船乗り込みでの万雷の拍手に菊之助が応えていく中で、お徳は息を引き取る・・・。
・・・つい、勢いで長々とあらすじを書いてしまった。(なにか、人に伝えたくなる話なんだよな。芸道物ってそういうものかもしれない。)
五代目菊五郎を演じた、河原崎権十郎が、写真で観る五代目にそっくりだった。
菊之助に惚れている芸者に伏見信子。夢二の絵に出てくるような美しさ。(調べてみたら、小津の「出来ごころ」のヒロインだった。)
帰ってから、昔古本屋で買った、昭和30年刊行の演劇界増刊「百人の歌舞伎俳優」で、当時の役者を確認。(この本は、結構重宝している。) 二代目菊之助の写真は、確かに坊ちゃん然としていて、ひ弱そう。四谷怪談での与茂七役の写真もあったが、あまり良い形になっておらず、やはり芸はまずかったんだな、と思ってしまった。(ただ、映画では、その芸が良いのか悪いのか、実は今ひとつ理解できなかったのだが。)
大阪の尾上多見蔵(三代目)の写真もあった。その中に、鎌倉三代記の佐々木高綱の姿があり、映画での楽屋のシーンが、この役に近い扮装をしていた。演じた俳優は、調べると尾上多見太郎というそうだが、この写真の雰囲気にも似ているところからすると、血筋の者なのではないかな。多見蔵は、本の解説では、「三代目菊五郎の門に入り(中略)明治期に入っては既に取り残された存在ではあったが、関西劇壇の一方の雄ではあった」とある。なるほど。「明治19年に90歳で没」ともあり、菊之助明治30年に30歳で亡くなったとのことだから、菊之助が大阪で多見蔵の死に立ち会った時は、わずか19歳ということになる。お徳は何歳だったのだろう。
その他、菊五郎役の河原崎権十郎の写真もあった。お祭佐七の佐七姿が凛々しい。
もう一度観ると、また新しい発見もあるのだろうが、残念ながら、それは無理のようだ。
溝口健二のDVDボックスなど、でないものだろうか。(もちろん、出たとしても不完全なコレクションとなることはわかっているが。)