10月歌舞伎座昼の部『鏡山旧錦絵』

kenboutei2005-10-15

『廓三番叟』芝雀亀治郎翫雀芝雀亀治郎の踊りを観ていると、同じ女形でも随分と違う。亀治郎はくねくね、芝雀はおっとり。亀治郎のような「くねくね型」は、他には福助魁春がそうだな。芝雀のような「おっとり型」は、雀右衛門菊五郎勘三郎なんかがそういう気がする。玉三郎菊之助は中間型かな。単に痩せ型かぽっちゃり型かの違いかもしれない・・・、なんてことを夢想しているうちに、踊りは終わってしまっていた。
『鏡山旧錦絵』お初を初役で挑む菊之助が大奮闘。尾上の玉三郎との絡みはそれほど面白みがなかったが(尾上の肩などを揉みながら、忠臣蔵の話をするところは、まだまだぎこちなさがあった。)、一人で独白や仕草する場面などになると、俄然その魅力が増す。特に良かったのは、尾上が自害した後、「遺恨の草履、うち眺め」の時の形。いかにも若女形の花があり、文化文政期の五代目岩井半四郎の錦絵を観るようであった。一人で尾上のことを思ってぶつぶつ言いながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりするその姿に、観客も共感して応援したくなる。『十二夜』の時にも垣間見せた、独白時のチャーミングさは、他の役者にはない、菊之助ならではの特別な魅力だと思う。また、とことことした召使いらしい足さばきは、まるで文楽の人形のようだった。最後の、菊五郎岩藤との親子対決も痛快。
玉三郎の尾上は、悪くはないが、いいとも思えなかった。雀右衛門魁春が尾上をやると、最初から死を覚悟しているような、脆く儚い印象があるのだが(それがいいというわけではない)、玉三郎の尾上は、最初はかなり強い女である。強い女であるが故に、草履打ちという恥辱に耐えかね、死を選ばざるを得なかった。言葉で書くとそれはそれで理屈だが、舞台で観ていると、何故そんなに強い女が、それだけのことで死ななければならないのかが、よく理解できなかった。まあ、誰が演じても、尾上の心理というのは、なかなか理解し難いと思うが。草履で打たれた後の傷心の引っ込みは、緊張感が漲り、なかなか良かった。
それにしても、玉三郎菊之助の関係は、尾上とお初の関係で観ると、余計に愛ある師匠と弟子という感じがする。特に、どこまでも尾上を慕うお初が、いじらしい。
菊五郎の岩藤。白く塗っただけの顔なのに、藍隈が浮かんで見えるような印象を持ったのは、芸の凄みか、それとも顔の皺のせいか。
序幕で出る赤姫の隼人が、まだ子供で台詞は覚束ないが、萬屋の血筋を引く品のある美しい顔立ちで、これから期待。
竹本の愛太夫と鳴門太夫が良かった。