正月浅草歌舞伎・第一部

kenboutei2013-01-06

冒頭のお年玉挨拶は亀鶴。
『対面』海老蔵の工藤、松也の五郎、壱太郎の十郎、米吉の大磯の虎、新吾の舞鶴、種之助の近江、隼人の八幡、梅丸の化粧坂、亀鶴の鬼王。
いくら浅草歌舞伎が若手の修行の場とはいえ、これで木戸銭を払うには、客の方にも相当の鷹揚さが必要である。浅草の仲見世界隈で見かけるような観光客向けの歌舞伎もどきのイメージと大差ないものを見せられるのも、なかなかしんどい。
どの役者も教わった通りに演じようとしているのはよくわかるが、それで『対面』の舞台がその様式性を伴っての華やかなものになるかといえば、そういうわけにはいかない。
それを象徴するのが松也の五郎。顔の隈取りはなかなか立派で綺麗。腕をクロスして手のひらを目一杯広げて形になろうという意識も伝わってはくる。しかし、内面から発する力強さはまるでなく、カドカドの動きにも精彩を欠き、荒事の役としては全く失格である。そもそも、この一幕ではかつて大磯の虎で出ており、最近では『忠臣蔵』で顔世を演じていた役者に、五郎をさせる興行主の意図がわからなかった。筋書によると、本人も驚いているようだが、いったい松也はどの方向に向かうのか、観ている方も戸惑うばかりだ。
壱太郎の十郎は、やることにソツはないが、自分の居所を気にしすぎていて(これは全ての役者に共通するが)、肝心の敵討ちの気持ちが伝わってこない。抜き衣紋はやや浅い。
海老蔵の工藤は、この座組ではこの役にならざるを得ないとは思うし、そんなに悪くもなかったが、やはり五郎で観たいものだ。上座に移ってから、花道の五郎と十郎のやりとりを、後見が出てくるまでじっと顔を向けて見入っていたのは、良くない。
米吉、梅丸の二人の女形は、若いだけに綺麗。梅丸は「ちっちゃい秀太郎」という感じで可愛かった。
この座組で一番良かったのは、新十郎の梶原景高。
『湯殿の長兵衛』海老蔵が初役で幡随院を演じる。これも『対面』同様、まだ客を呼べるレベルのものではない気がするが、それでも曲がりなりにもドラマ性を感じたのは、孝太郎の女房、愛之助の水野、右之助の近藤など、周囲がしっかりしていたからだろう。
海老蔵の長兵衛は、黙阿弥の台詞廻しとは無縁であったが、死を常に意識した役作りであり、案外面白く観れた。特に、三幕目の水野邸座敷、湯殿が良い。
愛之助の水野は、逆に台詞廻しがうまい。上方役者でありながら、黙阿弥物もこなせる力量は、さすがに仁左衛門譲りである。
ここでも新十郎の舞台番がとても良かった。
 
筋書は、ダンディズムを共通テーマとして執筆者に各芝居の見所を書かせていた。無理矢理感もあったが面白い趣向。これとは別に、矢野誠一の浅草に関する特別コラムが読み応えがあった。