初芝居・浅草公会堂第二部

kenboutei2013-01-03

平成25年の歌舞伎は浅草公会堂から。第二部を観る。
正月二日の浅草を訪れるのは初めて。浅草寺への参詣客で、地下鉄の駅構内からごった返し。上がってみると、雷門の手前から二重になった長蛇の列、警官が人の交通整理をしていた。公会堂前も含めて車は入れず、タクシーで来る予定だった同伴者とは急遽待ち合わせ場所を変えた。ちょっと正月の浅草をなめていたなあ。
第二部は、午後3時開演、午後5時55分終了。入場時、公会堂のロビーで盛んに弁当を売っていたが、この終演時間では売れないのではないだろうか。主催者側は、観劇後に浅草界隈で食事を楽しめる時間も作り、歌舞伎観劇の敷居を低くしたかったのだろうが、弁当屋のような従来の既得権者にとっては、迷惑なアイデアなんだろうな。
『毛谷村』愛之助の六助、壱太郎のお園。亀鶴の微塵弾正。
愛之助の六助は、すっきりしているのに加え、かどかどの動きが見映え良い。微塵弾正にわざと負ける際の芝居っぽさと愛嬌、その弾正が仇の京極内匠と知り、怒りに震えて決まる型の力強さ。びっくりする程凄いというわけではないが、見ていて清々しい。
壱太郎のお園は、虚無僧姿の最初の花道の出が、まだ未熟。無理に男っぽさを出そうと、胸を極端に反らせていたが、かえってぎこちなく見えた。お園として正体を顕してからは、今度は女過ぎる。台詞廻しはなかなか達者であったが、やはりまだまだ難しい役である。
上方演出なのか、浅草仕様の短縮版なのか、中盤にお園と追っ手の絡みがあったり、六助が踏みつける庭石がなかったり。
ご馳走で出る海老蔵の斧右衛門は、谺の件で「新年あけましておめでとう」とやっていた以外は、あまり面白くなかった。
母親お幸は吉弥。
 
『口上』浅草十四年振りの海老蔵が一人で口上。公会堂は十五年前に『勧進帳』の弁慶を初役でやった想い出の場所。その時は、緊張で花道に立った時ぶるぶると震えていたという。
最後に成田屋吉例のにらみ。獅子舞に噛まれるようで、正月早々縁起が良い気分になれる。後ろを振り返ると、複数のテレビカメラが入っていた。(次の幕では1台しか残っていなかったが。)

勧進帳口上の時海老蔵は、勧進帳成立の経緯の他、今日は初役時の初心に戻って演じたいと語っていたが、その通り、最近のひどかった弁慶から脱却し、久しぶりに「ちゃんとした」弁慶となっていて、観ている方も十五年前の感激を思い出していた。
とかく最近の海老蔵は自分本位の解釈で、顔を極端に歪め、過剰に動き回り、大袈裟な身振りをし、観ている者を白けさせていたのだが、今日はそうした行為はほとんどなく、かなり抑制的であった。
これは「初心に戻った」ということの他に、この一座での座頭としての意識にもよるものもあったのではないだろうか。
花道から出てきた時の風格は、実に圧倒的で、これまでの海老蔵にない落ち着きもあり、その歩みだけで、今日の海老蔵は違うなと感じた。舞台に入ってからの一連の富樫とのやりとりも、その落ち着きが終始漂い、前述の抑制的と思わせるものとなったのだと思う。
山伏問答も、一言一句、しっかりと意味をかみしめて話しており、聴いていてとてもわかりやすかった。これは、他の弁慶役者でもなかなかできないことで、少し驚いた。
とはいえ、まだ気になる点もいくつかある。
花道登場時、義経の「いかに弁慶」で普通弁慶は、「はー」と低く答える(無言の場合もあるが)。初役時は、この場面をテレビで生中継していて、海老蔵の「はー」の重厚な声に驚いたのだったが、今日は何故か口を閉じて発声、従って「はー」ではなく、「んー」に近い返答になっていた。何となく不自然、中途半端。普通に口を少しは開けて「はー」でいいのではないか。
また、最後の飛び六法。さすがに歯をむき出して野獣のように唸りながら引っ込むことはしなくなったが、一瞬びっくりしたような顔で(今度は)目をひんむいていた。
他にも、いくつか危ない(?)と思われる箇所はあったが、全体としては、とても充実した内容。一回り大きくなったと感じさせる海老蔵弁慶であった。(今後また崩れなければ良いのだけれど。)
この海老蔵の良さを引き出していたのは、愛之助の富樫と孝太郎の義経だろう。
特に愛之助の富樫は、初役だそうだが、登場時の名乗りから、声が良く通り、いわゆる歌いあげる富樫で気持ちよかった。弁慶に敵対するというより、じっくり聴こうという態度で、包容力があり、それが対する海老蔵の落ち着きにもつながったのだと思う。
孝太郎の義経も、いつものキャンキャンする声が影を潜め、品格があって良かった。最後の引っ込みは、笠に手をかけず、一瞬舞台を振り返って、素早く引っ込む。
四天王は、松也、種之助、壱太郎に市蔵。
 
終演後、タクシーで帰る海老蔵の母と妻を見かける。奥さんのお腹はだいぶ大きくなっていた。
食事は近所のすっぽん料理屋。(主催者の思惑通りの行動。)