新橋・九月秀山祭 昼夜

kenboutei2012-09-17

染五郎国立劇場の奈落に落ちて怪我をし、しばらく休演。結果、吉右衛門の奮闘公演のような形になった。ファンとしては、吉右衛門三昧の一日。
昼の部
寺子屋染五郎が勤めるはずだった松王丸に吉右衛門吉右衛門が演じるはずだった源蔵に梅玉
吉右衛門の松王は、出の作病の描写が良い。リアルすぎず、しかしながら病気である様子がわかりやすい。全体的に豪快さだけではなく、子を思う親の愛情も強く出ていて、これは吉右衛門の松王ではこれまであまり感じなかった点。首実検が終わり、一旦退出するところの焦燥感も見事。二度目の出での述懐、桜丸の話では、兄弟としての悲しみがストレートに伝わってきた。今日の吉右衛門は、人間・松王丸の究極の描写であり、強い感動を覚えた。
玄蕃に又五郎。やることに間違いはないが、今ひとつ面白みに欠ける。できれば吉右衛門の代わりに源蔵を演じ、襲名時のリベンジを観たかったのだが。
梅玉の源蔵は、案外世話っぽかった。首実検が終わり、ホッとするところなどは、随分とくだけた感じ。もっといつものクールさを出してもよかったような気がする。
福助の千代が、意外の上出来。寺入りの時の小太郎との別れも情があって良かった。いろは送りも、かつてのように出しゃばらず、行儀が良い。『奥殿』の常盤御前もそうだったが、これも吉右衛門と一緒のおかげだろうか。
芝雀の戸浪。
『河内山』吉右衛門の河内山。松王丸から一転の軽妙さ。この落差が面白かった。特に最後の花道での啖呵が自在。「馬鹿め」をたっぷり、そして北村大膳に向かっていながら、その向こうの出雲守に伝えているのがよくわかる、巧みな表現。久しぶりに堪能できる河内山を観た。
梅玉の出雲守、又五郎の高木。吉之助が北村大膳で奮闘。
 
夜の部
『馬盥』六月の博多座での仁左衛門の光秀が秀逸であったが、吉右衛門の光秀も、そのスケールの大きさで魅力的。仁左衛門の男の色気に対し、吉右衛門は、謀反の心を肚に押さえた男の剛胆さ。わずかの期間でこの二人の名優の光秀を観比べられたのは、何とも幸運であった。
博多座仁左衛門の時とは演出も多少異なる。吉右衛門の光秀は、「饗応」で鉄扇で額を打たれた後、上手で見つめる蘭丸に気がつき、思い入れとなる。(「饗応」の場がつかなかった博多座では、「馬盥」の引っ込みの時に蘭丸が花道の光秀を上手から見つめる。)光秀がいつ謀反の気持ちを固めたのか、場の構成や演出によって、受け止めが異なってしまうのだが、南北の原作ではどうなのだろう。
歌六の春永は、声は良いが迫力不足。富十郎のバカでかい声が懐かしい。
芝雀の桔梗、魁春の皐月は、博多座と同じ。梅玉が但馬守。
娘道成寺 この場のみ、別の日に二階で観る。
福助道成寺は、かなり久しぶり。筋書で確認すると、平成18年5月の演舞場以来。
成駒屋型で踊る福助の花子は、総じて立派。力みがなく、自然体で踊っていて、それが実にエレガントに見えた。ひと踊り終えて一旦引っ込む時の歩みがとても落ち着いていて、それが良かった。
乱拍子での発声は平凡。しかし、腰の入れ方など形は良い。芯がしっかりしており、安定感があった。
唯一の欠点は、「ただ頼め」からの手踊りのところ。それまでは丁寧に踊っていたのに、多少余裕ができたのか、いつもの悪癖でニヤついた感じの顔を作ってしまったのが残念。。
全体的には新しい歌舞伎座での歌右衛門襲名に備えて(?)、良い道成寺ではあったと思うが、それにしても、道行なしで押し戻しが付くというのは、全く不可解。成駒屋の家の芸なら、なおさらこんな出し方はすべきではない。
その押し戻しは松緑松緑は、今月この一役。松緑のために押し戻しをつけ道行を犠牲にしたとしたとは思いたくないが、興行主としてはもっと座組の配役を真面目に考えてほしいものだ。
今日も亀寿の強肩が見られたのは何より。(3階席まで手拭が届いた。)