六月新橋・猿之助襲名 昼の部

kenboutei2012-06-24

澤瀉屋の団体襲名昼の部。興行タイトルとしては、初代猿翁、三代目段四郎の五十回忌追善がメインのようだが。
『小栗栖の長兵衛』香川照之改め(?)九代目中車の初披露演目。岡本綺堂の新歌舞伎で猿翁初演の澤瀉屋ゆかりの演目、中車の最初の芝居としては適当と判断したのだろう。自分も初めて観る芝居で期待していたのだが、内容が古くさく、澤瀉屋の歴史や大正期の新歌舞伎を検証するならともかく、新中車の晴れ舞台としては気の毒な演目だったと思う。(前進座だったら、どこかの地方で今でも上演しそうな芝居ではあるが。)
芝居半ばに、花道から出てくる中車。観客からは暖かい拍手が降り注ぐが、それに反応する余裕もなく、緊張して演技をしているのが、誰の目からもわかる。台詞や動きの硬さは、夜の部の『ヤマトタケル』の帝でも同様であったが、どなるような発声は、やはりまだ歌舞伎役者としての肉体にはなっていない証左なのかもしれない。新歌舞伎とはいえ、歌舞伎役者が演じる舞台では、歌舞伎的な台詞空間があるのだが、中車はまだその空間に入りきれてはいないようだ。長い台詞を立て板に水のようにスラスラ言い回すのはさすがだが、それが周囲の役者のリズム、間とは明らかに異なる。初期のコクーン歌舞伎での笹野高史程ではないものの、その違和感は拭いようがない。まあ、場数をこなしていくうちに、慣れていくことを期待しよう。(或いは、笹野高史のように、その違和感を独特な個性にまで昇華させるかだが、中車となった以上は、歌舞伎役者としての個性を望みたい。)
右近の馬子弥太八の芝居がやや不安定。段之の茶屋女房が相変わらず過剰。
『口上』追善と襲名の口上。
藤十郎が座頭として、初代猿翁や先代段四郎の想い出を語り、猿之助・中車・團子の襲名を紹介。引き続き、彌十郎、門之助、寿猿、竹三郎、秀太郎が挨拶。下手は右近、猿弥、春猿笑三郎、笑也の澤瀉屋一門。段四郎は休演。
藤十郎は、猿之助らの襲名披露の時、懐から紙を取り出し、それを読み上げる。いかにも芝居がかっていて、面白い。新猿翁については、「澤瀉屋歌舞伎」と表現。秀太郎が、中車のことを詳しく紹介。右近ら弟子筋は、一門として結束・精進していく決意をそれぞれ表明していたが、笑也だけは、かつでの大抜擢を強調しつつ、夜の部の『ヤマトタケル』を紹介していた。
猿之助の口上は、堂々としたもの。かつ能弁で、口上に伴う緊張感や初々しさがまるでなく、感心はするものの、ちょっとつまらなかった。まあ、そこが亀治郎いや新猿之助らしいのだが。襲名につきものの、周囲への感謝を述べる際、「目に見えないもの」にも感謝していて、こういうところも彼らしい。「死ぬまで歌舞伎に身を捧げる。」とも言っていた。彼の魅力は、この言葉を何の衒いもなく本心から言っているところにある。その純粋な自信過剰こそ、猿之助の名を継ぐ者としては相応しいのかもしれない。膝の悪い月乃助と休演した段四郎が列座していないことへの謝罪も忘れず、ほぼ完璧な口上であった。
一方、中車の方は、さすがに硬い。目がいっちゃってるというか、ちょっと怖かった。先輩役者のことを「坂田藤十郎様」「片岡秀太郎様」としか言えないところが、今回の襲名において、実に象徴的でもある。屋号や兄さん、おじさんと呼べる日は、果たして来るのだろうか。(そういえば、前の猿之助は、梨園のそういう呼び方が嫌いだったんだよな。)
團子が「猿翁より立派な役者になる」と言って笑わせる。「お願い申し上げます」を子供ながら歌舞伎口調で言うものだから、上手の秀太郎が、肩を震わせて笑いを堪えていた。
そして、一通りの挨拶が終わった後、藤十郎の紹介で、新猿翁が登場する。奥の襖が開き、特製の台座に乗った猿翁が(鏡獅子の胡蝶のように)迫ってくる。猿翁は首しか動かず、しかし必死にその首を周囲に向ける。痛々しい動きにも見えるが、万来の拍手に精一杯応えている姿は感動的でもある。聞き取れない口調で、「隅から隅までずずーいと」と言っている。喜ぶ観客を観ていると、こういう見せ方は、幕末から明治期の三代目田之助なのではないか、との思いもふとよぎってしまったが、すぐに思い直して、自分も新猿翁の久しぶりの晴れ舞台に拍手を送った。
『四の切』猿之助の襲名演目。昨年の初役を明治座で観ているが、よりスピーティーかつあっさり。段四郎休演で寿猿が法眼だが、板付きですぐ終わる。藤十郎義経も、いつものチョボの語りが少ない。脇息を前に出しての見得(「気早の大将」)のところもカットされていた。
見所だけを手早く見せる澤瀉屋流のコンビニ歌舞伎。襲名舞台なのでもっとたっぷり観たい気もしたが、これが当世なのだろう。
猿之助の狐忠信は、狐言葉が格段に進歩。動きは八分に抑えた感じがあったが、汗いっぱいの奮闘よりも、その方が子狐の情感が出て良いと思った。本物の忠信の方は、全体のあっさり感の中で、余計に印象が薄くなった。
藤十郎義経秀太郎静御前という襲名ならではご馳走が嬉しい。また、この上方役者二人がとても良く、サラサラと演じる猿之助の前で、義太夫狂言らしいコッテリ感を、その存在だけで示していた。
特に秀太郎は、猿之助のケレンにいちいち反応する芝居っ気が面白かった。また、狐忠信が宙乗りとなり、観客が大喜びしている中で、藤十郎秀太郎も嬉しそうに上空を見つめている。彼ら自身もこの場を楽しんでいるのがよくわかり、新猿之助よりこの二人を観ている方が、自分も楽しかった。こういうお祝い事に、ぴったりと嵌まる上方役者の二人であった。

それにしても、襲名興行が、こんなに短時間で良いのだろうか。(これも昼の部と夜の部の舞台入れ替えのためなのかな。)