六月博多座 夜の部

kenboutei2012-06-08

久しぶりに博多へ行く。博多座の夜の部だけを観る。又五郎襲名興行で、吉右衛門仁左衛門三津五郎と現代歌舞伎の三大実力者が揃っているのに、客の入りは芳しくない。先月の空しき平成中村座より、よっぽど充実しているのに。
『馬盥』仁左衛門の光秀、梅玉の春永、吉右衛門の但馬守。こんな配役、なかなか東京でも観ることができない。襲名ならではのご馳走。
「饗宴の場」は省略、「馬盥の場」から。この場は、題名にもなっていることから、光秀が春永に馬盥で酒を飲まされるところが眼目と思いがちだが、実際はその後の、赤貧時代に妻の皐月が生活のために売った切髪を見せられたところである。そのことは、事前に吉右衛門羽左衛門のビデオを見直して理解していたのだが、この、切髪を見る時の光秀の反応が、役者によって違うのが面白く、見所でもある。
ビデオで観てみると、羽左衛門は世話っぽく(顔の表情や仕種がわかりやすい)、吉右衛門は時代な反応(切髪の入った箱の上蓋を使った見得の大きさ)。今日の仁左衛門は、そんな両者の良さを併せ持った、わかりやすくも、時代的な風格を保ち、そして何よりもかっこ良い。切髪の意味に気がついた時の目の鋭さ、見得の鮮やかさ。羽左衛門にも吉右衛門にもない、仁左衛門独特のすっきりとして色気漂う恰好の良さなのである。また、濃紫の裃がとてもよく似合っていた。
切髪の箱を持って花道に引っ込む時、その姿を盗み見ている森蘭丸に気がついて、ハッとなる。この場面は、羽左衛門にも吉右衛門にもなかったので、松嶋屋の型なのかもしれないが、これによって、仁左衛門の場合は、春永への謀反は、既にここで心に秘めていたのではないかという気がした。(つまり、蘭丸に謀反の気持ちを気がつかれないようにハッとなって平静を装い引っ込んで行ったように見えたのである。)
梅玉の春永は、もう少し光秀に恥辱を与えるだけの言葉のたたみ掛けが欲しいところだが、冷徹な大将の雰囲気は漂わせていた。
愛宕山の場」。仁左衛門は、灯消えて暗闇になってからの台詞の迫力が素晴らしかった。吉右衛門の但馬守が来て、これぞ大歌舞伎。
皐月は魁春で、安定感ある芝居。
『口上』又五郎襲名披露口上。座頭として吉右衛門が挨拶。以下、上手へ魁春、友右衛門、染五郎松緑芝雀東蔵仁左衛門。下手より梅玉三津五郎錦之助、種之助、歌六、新歌昇、新又五郎
空席がかなり目立つ客席を前に、吉右衛門は「かく賑々しく」と挨拶しなければならない。何だかやりにくそうな感じであった。仁左衛門三津五郎は、十年振りの博多座出演とのこと。全体的には皆質素な挨拶。それはそれで、好感が持てた。
『毛谷村』又五郎の襲名披露演目で、毛谷村六助を演じる。又五郎は、六助の人の良さはよく表現できているが、動きや台詞に義太夫味がなく、観ていて面白くない。芝雀のお園も同様で、いつもの芝居がいつもの通り進むという感じで、途中眠気も感じた。吉右衛門がご馳走で斧右衛門、やっと場内も沸く。眉毛の細工はさほどのことでもないが、義太夫味のある台詞はさすが。しかし、ここだけ丸本歌舞伎の味わいがあるというのも、寂しい気がする。
『靱猿』三津五郎。最初の『馬盥』だけでも満足感は高かったのだが、最後の『靱猿』で、さらに増幅、幸福感も得て、劇場を後にすることができた。
三津五郎の『靱猿』を観るのはこれが初めて。最初の花道の出、猿曳の三津五郎は、七三で立ち止まり、猿を操る鞭を持っての所作。そのふんわりと柔らかな鞭の使い方に感心して見とれた。本舞台に入っても、適度の緊張感を保ちつつ、カドカドのきっぱりした踊り、振り。小猿への情愛もたっぷりで、楽しくも清廉な気持ちとさせてくれた。
染五郎の奴と松緑の女大名は、ともに三津五郎程の緊張感が不足。特に松緑の女大名は、もう少し柔らか味が欲しかった。
ただただ、三津五郎を堪能。