二月新橋演舞場 勘九郎襲名 夜の部

kenboutei2012-02-04

今月の新橋演舞場は、勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露興行。夜の部を観る。
『鈴ヶ森』勘三郎権八吉右衛門の幡随院長兵衛。勘三郎吉右衛門の久し振りの共演。まだ全快ではない勘三郎だけに、がっぷり四つという感じではなかったが、二人が同じ舞台に立っていること自体が慶ばしく、勘九郎の襲名に花を添えた。
吉右衛門の長兵衛が、駕篭の中で微動だにせず、じっと権八の動きを見続けている姿に、こちらの目も釘付けになる。この後の吉右衛門の台詞の力強さ、大きさにも感服。まさに江戸の大親分。荒事で見せる様式美としての大きさとはまたひと味違う、生身の人間としての器の大きさを感じさせるものであり、今の役者では、吉右衛門にしか出せない大きさであろう。(九代目の長兵衛の大きさというのを、つい夢想してしまう。)
勘三郎権八は柔らかみがあり、悪くはなかったが、華やかな感じはしなかった。
家橘の飛脚。雲助役の彌十郎錦之助には全く気がつかなかった。
しかしこの一幕、権八と雲助とのやり取りは、観る度につまらなく思う。
『口上』さすがに中村屋の襲名だけに役者が揃い、華やか。

  • 勘三郎勘九郎の名前は自分が三つの時から名乗っていた。「勘九郎坊や」と言われたりしていた。当代は、もう30歳。とても坊やとは呼べない年齢だが、芸の上ではまだ坊や。これから精進してほしい。当代は、吉右衛門から『関の扉』の関兵衛、仁左衛門から『沼津』の十兵衛、三津五郎から『吃又』の又平と、自分や親父も手掛けなかった役を教わって演じている。ありがたいこと。今日の襲名、神谷町の父(芝翫)がいなくて残念。実は、列座している橋之助の鬘が、芝翫が最後につけていたもの。(この口上での勘三郎が、復帰後一番生き生きしていたように思う。)
  • 我當:当代は、子供の頃から俳句に親しんでいた。彼が詠んだ「雨上がり 庭の銀杏も うれしそう」という句に感心した。
  • 三津五郎:「勘九郎」。忘れたくても忘れられない名前。明けの明星のように輝く名前。その名前が復活、こんな嬉しいことはない。そして更に未来の勘九郎も生まれたのも、素晴らしい。こうして、名前が継がれていくことの大事さを感じている。
  • 彌十郎勘三郎三津五郎のすぐ下だったので、いつも一緒だった。当代と七之助兄弟とはよくふざけ合い、最近は「このじじい!」などと言われ、こっちも「勘太郎!」とか本名呼び捨てで言い返していた。しかし、勘九郎の名は父親のイメージがあるので、呼び捨てしにくい。これからは、勘九郎「さん」をよろしく。
  • 芝雀:昼の部で『土蜘蛛』に出させていただく。
  • 秀太郎:昭和41年に十七代目勘三郎が『鏡獅子』を出した時、自分は胡蝶で出演。勘三郎に厳しく教えられた。今月、襲名披露が『鏡獅子』と聞き、是非また胡蝶に出たかった(笑)。
  • 吉右衛門:ここに列座できるのも、皆さんのおかげ。十七代目、神谷町も喜んでいるだろう。
  • 仁左衛門:当代や七之助にはウルトラマンのおじちゃんと呼ばれていた。勘三郎とは兄弟のように仲良し。だから今日は甥っ子の襲名のようでとても嬉しい。一時勘三郎が病気となり心配したが、出られて良かった。他に嬉しいことは小山三。今年93歳になって『鏡獅子』の飛島井に出演。こっちも一時は心配したのだが・・・(ここで観客も、舞台上の役者も爆笑となる。) 当代は真面目なところだけが唯一、父親に似ていない。
  • 東蔵:当代の子供の七緒八ちゃんは、いつもニコニコしており、周りのみんなも笑顔になる。そしてこの笑顔が勘三郎を元気にさせたのだろう。だから、当代は親孝行。これからは芸でも親孝行を。
  • 扇雀勘三郎には公私ともにお世話になっている。当代はよく舞台の袖から芝居を真剣に見ている。芸で一番大事なこと。
  • 錦之助:昼の部の『河内山』で、息子ともども出演させていただく。
  • 橋之助:当代は、最近は『四谷怪談』のお岩、『夏祭』の団七など、中村屋の家にとって大事な役を次々と手掛けている。これからも活躍を。そして弟の七之助もよろしく。
  • 福助:きっと父の芝翫も、十七代目勘三郎も、この会場のどこかで見ているだろう。
  • 七之助:襖の絵は金子國義。兄に代わって紹介。(←同じことを、勘三郎襲名時は当代勘九郎が言っていた。) 兄とは初舞台からずっと一緒であった。これからも二人で手を携えて頑張る。
  • 勘九郎:父が大きくした勘九郎という立派な名を、汚さぬよう、一生懸命精進してまいる所存。

血縁であったり普段から親しい仲間内ばかりで行われるのが最近の口上の常で、当然ながら暖かく優しい言葉が続くわけだが、そういう身内の身贔屓さを割引いても、新勘九郎の人柄の良さを感じさせる、各々の口上であった。
『春興鏡獅子』勘九郎の襲名披露狂言。平成12年の初役以来。初役の時は、非常に硬くて、獅子頭に引きずられて引っ込むところなどは、とてもぎこちなかった印象があるが、さすがにあれから10年以上経過、格段と進歩していた。何より、終始落ち着いていた。手の動きがゆったりしていて、身体全体を使って大きく踊れていたのが印象的。最初の、座って後ろ身で反り返るところでは、期せずして観客から拍手が起こっていたが、それだけ丁寧に見せていたということだろう。
後シテはいつも見ている『連獅子』同様シャープ。しかし、これも『連獅子』同様、まだ「運動」のイメージを拭えない。
後見に七之助。胡蝶の二人は玉太郎と宜生。(秀太郎ではなかった・・・)
仁左衛門の口上での予告通り、小山三が飛島井で、拍手喝采ではあるが、役不相応の目立ち方は、本人も戸惑いがあるのではないだろうか。

『ぢいさんばあさん』三津五郎の伊織、福助のるん。共に初役での夫婦。
福助のるんは、観る前はいつもの過剰演技(特に顔芸)を危惧していたのだが、何とか許容範囲。それでも、夫への色気が強く出たかと思うと、赤ん坊をあやす場面では急にがさつな態度になったりで、性根に一貫性がなく、その場の感情で芝居をしている。老いてからも、その老いを強調しすぎるところがあった。
三津五郎の伊織の方は、あまりイメージしたことがなかったのだが、真面目な役柄が三津五郎に合っていた。特に、三十数年振りに家に戻った時、「わしの家じゃ」と言いながら動き回る感動振りに実感がこもっていて、ここは勘三郎仁左衛門の伊織よりもうまいところであった。ただ、鼻に手をあてる癖は、ややぎこちなく不自然。(ここは福助との間合いの問題もあるが。)
全体的には、新鮮な夫婦像で、思っていたよりは良かった。
橋之助の下嶋は、持ち役といった感じ。伊織への挑発がごく自然でうまい。扇雀の久右衛門も良い。
巳之助と新吾の甥夫婦。新吾は、声だけは女形
ところで、下嶋の家は、伊織の家の隣だったはずだが、殺された後、その家族はどうなったのだろうか。(久右衛門や甥夫婦との関係は大丈夫だったのか?)
二年前の十七代目勘三郎二十三回忌興行でもこの演目だった。もう少し工夫ある狂言立てを望みたい。