新橋・初春大歌舞伎 昼夜

kenboutei2012-01-07

昼の部
『相生獅子』魁春芝雀。正月なのに地味な雰囲気は否めない。でも、この二人の踊りは好きだ。後シテ、毛振りのシンクロがゆったりと面白かった。
金閣寺菊之助が初役で雪姫。やはり菊之助は、真女形で行くべき。そう改めて思った。観た目の上品さと美しさ。柱に凭れた時の匂いたつ嫋やかさ。後ろ姿を見せて形になる時は、まだぎこちなさがあるが、それでも若手女形の中では一級品であろう。先月の墨染その前の『道成寺』の花子と、女形の大役をしっかりとこなし、菊之助は一歩進んだ感がある。願わくば、もっともっと、女形に精進してもらいたいものだ。(立役も悪くはないが、女形の印象が薄くなってしまう。)
爪先鼠のところは、あっさり。桜吹雪も申し訳程度しか降らない。(ここはいつも雀右衛門型を期待してしまう。)
大膳は三津五郎。もはや手に入った役という感じ。夜の部の『矢の根』もそうなのだが、三津五郎は、台詞が丁寧でわかりやすい。大膳のような国崩しでは、もう少し手強さもあった方が良いとも思ったが、しかし、動きを含めた全体としては、実に立派な松永大膳であった。見得の時に余計な発声を一切禁じ、観客を動きのみに集中させることで、その迫力を放射している。これが本来の見得の凄みであることを、海老蔵には是非知ってほしい。
梅玉の東吉は、襲名披露時以来のようだが、自分は初めて観る。東吉としての軽みに欠けるが、スッキリ爽やか感はあった。
松江の鬼藤太、錦之助の軍平、東蔵の慶寿院と、皆持ち味を発揮していた。歌六の狩野直信は、柔らか味が足りない。甲の声もやや無理をしている感じ。
舞台全体の調和はよく取れ、折目正しい、テキスト的舞台。例えば吉右衛門の大膳、富十郎の東吉、雀右衛門の雪姫のような、個別の役の魅力で堪能させるのとはまた違って、適材適所の配役によりドラマ性がくっきりし、総合力としての芝居の面白さを感じた今日の『金閣寺』であった。
『加賀鳶』菊五郎劇団に吉右衛門が加わる。それだけでも新鮮だが、吉右衛門の松蔵が独特の男前で、同じ江戸の粋を見せるのでも、菊五郎劇団的なものとは別の味わいがあり、江戸世話物の世界が広がった感じであった。
まあしかし、面白かったのは、その組み合わせの妙だけで、芝居としてはそれほどでもない。
菊五郎は、梅吉はともかく、道玄がまずい。パンダみたいな目の隈が下品だし、何より凄味に欠ける。この役は滑稽さだけではないはずである。
時蔵のおさすりお兼は、生活感に根ざした女の色気に不足。
冒頭の勢揃い、印象に残ったのは、亀三郎と松也。
梅枝がお朝で出ていたが、彼は平成中村座と掛け持ちなのか。
 
夜の部
『矢の根』三津五郎の五郎。『矢の根』は歌舞伎十八番の一つだが、何故か成田屋はあまり手掛けておらず、立役で、弁慶や助六などの大物十八番物をなかなか演じられない若手や中堅どころに充てがわれるようなイメージが強い。また、東京・歌舞伎座よりも、地方で手頃に歌舞伎十八番を見せるために選ばれてもいるようだ。(十八番物ではないが、『対面』の五郎もそういうイメージがある。まあこの役は團十郎海老蔵もよくやるが。)
その『矢の根』の五郎だが、今の歌舞伎役者の中では、今日の三津五郎が随一であろう。そのことを改めて確認できる舞台であった。動きと声の明確さ。そして力感のストレートな表現。荒事の一つの規範がここにあると思う。七福神への悪態も聞きやすく、そのため痛快。舞台二重から降りる時のジャンプがもの凄く高く、一つ一つの足踏みも、大地を踏みしめ祈りを捧げる舞踊の根源を思い出させるように、しっかりと力強く踏み、またリズミカルで陶酔感を覚える。いつまでも三津五郎の動きを観てみたい、そんな気にさせた。
演じる役者の系譜からすると、十八番物としては軽んじて扱われているようではあるが、三津五郎の五郎こそ、宗家以上の歌舞伎十八番の荒事芸であると思う。(まあ、團十郎海老蔵の『矢の根』も観てはみたいのだが。)
田之助の十郎は、意外にも初役だそうだが、田之助にとっては久しぶりの本役ではなかろうか。
『連獅子』富十郎の一周忌追善として、息子の鷹之資が仔獅子、親獅子に吉右衛門富十郎が最後に弁慶を務めた矢車会の夜の部が、親子での『連獅子』だったのだが、これは観ていない。体力的に毛を振れなかった富十郎の親獅子の前で、鷹之資は立派に仔獅子を務めたという。
鷹之資にとっては、大切な舞踊だろうが、個人的には、後見人的存在となった吉右衛門の親獅子の方に興味があった。
吉右衛門は踊りでのイメージが薄いし、実際に今日の親獅子も、動きはもっさりとしていて、踊りとしての面白さは感じにくかった。しかし、例えば、鷹之資の仔獅子が踊っているのを見守る立ち姿など、踊っていないでいる時、まさに親獅子といった感じで、これはこれで踊りの中の芝居っ気であり、そういう部分が面白かった。何よりも、親獅子と仔獅子の関係性がよくわかる。実際に親子で演じる中村屋高麗屋の時よりもそう感じたのは、この吉右衛門が発する芝居っ気であり、それに加えるなら、鷹之資の仔獅子が置かれた境遇なのかもしれない。かつて観た、富十郎とまだ辰之助だった今の松緑での『連獅子』を、つい思い出していた。
毛振りは、吉右衛門がようやく一振りさせる間に、鷹之資の方は二振り以上回していたが、それでも調和がとれていたのは、二人が単に運動として毛を振り回しているのではなく、どちらも一振りに気持ちを込めて丁寧に回していたからだと思う。その共通する軌道の美しさと毛の先端に感じる心意気(富十郎への思いと言っても良い)が、回転数の違いを凌駕していたのだろう。
鷹之資はもちろん、吉右衛門にとっても、富十郎を追善する良い舞台であったことと思う。そして、観ている自分にとっても、心に残る舞台となったのは、間違いない。
『め組の喧嘩』お馴染み菊五郎劇団。あまり期待しないで観ていたのだが、案外面白かった。序幕第二場「八ッ山下の場」の世話だんまりが良かった。「辰五郎内の場」は、少しダレる。大詰の喧嘩は、色々工夫していたようだ。

それにしても昼夜通しで観ると、獅子物と菊五郎劇団総出の世話物が重なり、同じ物を食べてるようで胃がもたれる。