平成中村座 11月 昼・夜

kenboutei2011-11-06

久しぶりの平成中村座。来年5月までのロングラン興行。今回は旗揚げ時の隅田公園の空き地に戻ってきたが、屋根が二段化し、テントというより、立派なプレハブ劇場。浅草から川沿いに歩いて行くと、小屋の裏側に行き当たる。その位置から川向こうを見ると、ちょうどスカイツリーの正面。なるほど。
昼の部
角力場』勘太郎の放駒と与五郎二役、橋之助の濡髪、新吾の吾妻。
勘太郎の二役は、どちらも力み過ぎ。一生懸命さはわかるけれど。
橋之助の濡髪は、大きくて立派に見えるが、台詞に重量感がない。
相撲小屋に入る群衆の混み具合が面白い。新吾が上手から出て来た時、でかすぎて相撲小屋との遠近感が一瞬分からなくなった。
全体的には、それほど面白くはなかった。
『お祭り』勘三郎復帰舞台。平成中村座特設のセリから登場。(やはり、もはやテントではない。)
病気明け演目の定番の感のある『お祭り』、大向こうも気合いが入る。久しぶりの勘三郎で、自分も胸が熱くなったが、しかし、勘三郎、まだ本調子ではなさそう。
こんなに舞台と客席が近い小屋なのに、何故か勘三郎が遠くに感じる。踊り自体がつまらないというより、踊っている勘三郎自身に、楽しさが感じられなかった。
一門古参の山左衛門、勘之丞が付き合っていたのは良かった。
最後に、舞台後ろが開き、外の景色が。やっぱりそうかと思ったが、曇っていたせいか、スカイツリーは全く見えなかった。(座席の位置が悪かったせいかも。)
『渡海屋・大物浦』仁左衛門の知盛は前に観た時も良かったが、今回は、特に大物浦は、独特の劇場空間の中で、より凄みが増した感じ。
自分に突き刺さっていた矢を引き抜き、矢についた血を嘗めて渇きを癒やすところなどは、残虐美すら感じさせるものだった。「生き変わり死に変わり、恨み晴らさでおくべきか」の台詞の良さも、印象深い。
弁慶が安徳帝を跨ごうとして痺れるところはカット、知盛になってからの舞も簡素化され、コンパクトに。
「渡海屋」で花道から仁左衛門が出て来た瞬間に、劇場全体が華やかになる。客席の全ての視線が仁左衛門に集中しているのが、こういう小さな小屋では手に取るようにわかり、客と役者の間に、親密な空気が発生する。この親密感こそが、江戸時代の劇場の再現を目指すところの平成中村座の、最大の魅力なのだと思う。(『お祭り』での意外感と勘三郎の不調振りを思ったのも、この親密感の薄さからである。)
こういう劇場空間で松嶋屋の丸本歌舞伎を見られることは、実に貴重な経験であると思った。
松嶋屋は、仁左衛門だけでなく、典侍の局を演じた息子の孝太郎も良かった。古典劇の規範をしっかり守った芝居をしており、感心。
橋之助勘太郎の注進も良い。
彌十郎の弁慶、引っ込みがすっかり『勧進帳』もどき。この型は一体誰が考案したのだろう。

夜の部
『猿若江戸の初櫓』勘太郎七之助。二人の踊りは爽やかで気持ち良い。最後は、やはり舞台後ろが開く。今回は下手側に座ったせいか、スカイツリーもうっすら見えたが、格子状の胴体部分だけだった。全景を見るのは距離と角度から難しいかもしれない。
『沼津』仁左衛門の十兵衛、勘三郎の平作、孝太郎のお米。
勘三郎の平作は、初役の時はかなり面白く観たのだが、今日の舞台は、『お祭り』同様、やることにソツはないものの、やはり物足りない。仁左衛門との台詞の応酬にも、今ひとつ、いつもの切れ味がなく、勘三郎らしさを感じられなかった。お米が印籠を盗んだ訳を、自分の怪我した足を見て気がつくところなどは、うまいものがあったが。
仁左衛門の十兵衛は、すっきりと明るく、お米に対する愛嬌と愛情も味わいがあって、良い出来。
孝太郎のお米も良く、昼の部といい、夜の部といい、今日の平成中村座は、平成松嶋座と名前を改めても良さそうなものだった。
幕開きの小山三の妊婦に大きな拍手。
『弁天小僧』七之助の弁天小僧は、浅草歌舞伎以来。妙にはじけた弁天小僧。自由自在というか、自分勝手というか、黙阿弥の描く様式美からはほど遠いものの、等身大の不良少年は、そこにいた。浅草の時は絶叫しているだけで、全く面白味はなかったが、それよりは進歩していたと思う。とはいえ、自分も含めて観客は結構喜んでいたが、黙阿弥の芝居にするためには、この演じ方では通用しないだろう。(それは勘太郎の南郷も同様。)
国生の宗之助は、まだまだだが、この前のコクーン歌舞伎よりは、役者に近づいた。
鳶頭の澤村國矢が奮闘。
「勢揃い」は、橋之助の駄右衛門が本役。赤星役の新吾が持つ傘が小刻みに震えていたのが、客席からもよく見えた。