『武智鉄二という藝術』

読了。

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

かなり期待して読み進めたが、物足りない。
伝統芸能から前衛芸術、本番ポルノに競馬まで、おそろしく振れ幅がある武智鉄二という人間について、少しでも理解できるかと思ったのだが、余計謎が深まった感じ。
著者も手に余るといった感じで書き進めており、その戸惑いの方がむしろ面白かったが、一人の人物の伝記としては、フラストレーションが溜まった。
自分としては、断弦会、武智歌舞伎の頃はもちろんだが、その後のどんどん「変」になっていく過程を、時代背景とともに、もっと切り込んでほしかったのだが、表面的な事象を紹介したのみに留まり、合間に著者自身の体験を紹介してお茶を濁したような感じであった。
まあ、武智鉄二という人間を追求するには、その仕事の範囲があまりに広く膨大で、とてもこの程度のノンフィクションでは描ききれないということでもあるのだろうが。
星新一の孤独を追求しきった最相葉月なら、武智鉄二の「心の闇」までも掬い取ってくれるのではないかと、いらつきながら読んでいて、ふと思った。
また、誤植も少なくない本で、これもイライラした原因の一つだが、意味が通じない致命的な引用があった箇所だけ記しておく。

(前略)私にとって、芸とは煩瑣な約束事や外面的な形容を指すものではなく、真実の表現のための根本的な技術を指すものではなく、真実の表現のための根本的な技術を意味するものであり、それは究極に於ては息の問題に還元される、(後略)
P189

武智鉄二の『歌舞伎の黎明』所収の「歌舞伎の暗黒時代」からの引用だが、コピペによるミスだろう。余計なフレーズ(斜体赤字)が挿入されていた。(わざわざ『歌舞伎の黎明』を取り出して確認してしまった。青泉社版、P62)
若き武智鉄二の挑戦的なポートレートを表紙に使った装丁はなかなか良いと思ったが、中身はあまり丁寧な仕事ではない。
古書店で手に入れてそのままだった『かりの翅』(千歳書房版)や『歌舞伎の黎明』を、書棚から取り出し読む気にさせたのが、最大の収穫。