十月国立劇場 真山青果二本

kenboutei2010-10-11

天保遊侠録』一年前に歌舞伎座で橋之助の小吉で観たばかり。吉右衛門の小吉は、甲の声を多用し、若々しさや短気な性格を表しているようだったが、まだ台詞がスムースに出てこず、小吉の快活感はあまりなかった。
それでも、子供(後の勝海舟)を手放さなければならなくなってからの芝居には、親としての情愛が、大きな演技の中で滲み出ており、さすがに吉右衛門であった。前回観た時は、単に猟官運動の馬鹿馬鹿しさを破天荒な人物が爽快に喝破する程度の印象しかなかったのだが、吉右衛門の場合は、そんなことより、自分の行動の愚かさ故に、愛しい子供と別れなければならない親のつらさ、悲しさ、惨めさなどが、よく伝わってきて、前回より遥かに面白く観ることができた。
これは、橋之助吉右衛門の役の捉え方の違いに加えて、今回は義姉阿茶の局の東蔵と、麟太郎役の中村梅丸がうまかったのもあるだろう。
甥の庄之助は染五郎。滑稽さを強調したメイクと演技だったが、元々そういうものなのだろうか。(前回の勘太郎の時以上に誇張した演技だった。)
八重次に芝雀
接待を受ける旗本筆頭の桂三が、鷹揚で良かった。
『将軍江戸を去る』観終わって帰宅し、この感想を書くまで、初めて観たと思い込んでいたのだが、今チェックしてみると、2年半前の歌舞伎座でかかっていた。三津五郎慶喜だったようだが、全く記憶にない。(たぶん寝てたんだろうな。当時の感想には巳之助を褒めてあったが、何の役をやっていたのかさえ、もう忘れている。)
もっとも、第一幕の「薩摩屋敷」は、前回は出ていないので、これは正真正銘初見であり、そして、この場が一番面白かった。
おそらく西郷隆盛勝海舟の会談場面が、今やっている大河ドラマと連動していてタイムリーだった(二人の会話の中で坂本龍馬のことも出てくるし)ためだとは思うが、西郷の歌昇も勝の歌六も、なかなか良かった。
西郷が江戸城攻めを思いとどまる理由を滔々と述べるのだが、その中身は、実に立派な反戦論であることにも驚いた。「我々は地図の上で攻める箇所を簡単に決めるが、そこには実際に生きている人間がいるのだ」というようなことを西郷に語らせているのだが、この述懐は、現代の戦争においても当て嵌まるものである。(それだけ、人間は進歩していないということでもある。)
第二幕から、慶喜役の吉右衛門が登場し、どうやらここからの三場がメインのようなのだが、正直こっちはつまらなくて、必死に眠気をこらえていた。おそらく、また記憶からは消えていくのだろう。
吉右衛門は、やはりまだ台詞が完全ではなく、精彩を欠く。
山岡鉄太郎に染五郎
尊王」と「勤王」が違うということを知ったのが、収穫。
第三場の「千住の大橋」の通りだとすると、慶喜は、歩いて江戸を去ったということになるのだが、史実もそうなのかな。