新橋演舞場 十月夜の部

kenboutei2010-10-17

『盛綱陣屋』仁左衛門の盛綱、自分は初見。実に立派で大きく、良い盛綱であった。一昨年の吉右衛門も良いと思ったが、今日の仁左衛門の方が、より自分好みの盛綱。仁左衛門の持ち味である情愛に、心を打たれた。
孫を討てと迫る時の母・微妙への態度や、首実検後に小四郎に会わせようと篝火に呼びかけるところなどに、はっきりと「家族愛」を感じた。おそらくこれは、『盛綱陣屋』に限ったことではなく、仁左衛門という役者の(父・十三代目仁左衛門をはじめ肉親を敬愛してやまない、松嶋屋としての)大きな特質であり、最大の武器でもある。そして、その「愛」によって、義太夫狂言の中身が濃くなっていくのが、仁左衛門仁左衛門たる所以である。(先日観た松竹座の『引窓』もそうであった。)
一番面白かったのは、なんといっても首実検。
首を見てからの表情の変化が良い。
【見る】→【不思議そうな顔】(あれ、何か変だな)→(弟高綱の首じゃないぞ)→(何だ贋首か)→【ニヤリと笑う】(高綱め、小細工なんかして)→【花道の方を見る】(しかしまた何でこんなことを)→【また不審そうな顔】(ん、何か視線を感じるぞ)→振り返って小四郎を見る→【はっきりと気がつく】(そうか、小四郎はこのために腹を切ったのか!)→【感慨無量の顔になる】「弟高綱の首に相違ない!」
ちょっと乱暴な表現(記憶も今となっては曖昧)だが、こんな心境変化に合わせて、表情や顔の向きが変わる。丁寧でわかりやすいだけでなく、丁寧な心理描写にもかかわらず、段階的・様式的に手順を踏んで表現している点が、とても面白く新鮮に感じた。
帰宅してから、この前の吉右衛門の盛綱のビデオで同じ場面を確かめたが、吉右衛門の場合、小四郎の方を振り向くまでが早く、すぐ真相に気がつく表情になる。それはそれで時代物の格があり、一つのやり方である。更に、勘三郎襲名時の盛綱のDVDも観てみた。勘三郎の首実検は、時間をかける点においては仁左衛門に近かったが、ただ長いだけに感じるのは、仁左衛門のような段取りの面白さがないからだろう。心理描写を様式的に見せられるかが、仁左衛門との違いだと思う。
仁左衛門の盛綱は、首実検の際、生首の耳穴に小柄を突き刺し、左手で廻すしぐさも、残酷なのに面白く感じた。
仁左衛門以外の役者は、総じてつまらない。
團十郎の和田兵衛、魁春の篝火。我當の時政。
秀太郎の微妙は秘かに期待していたのだが、あまりにも世話すぎ、ただの優しい婆さんであった。仁左衛門と同じ松嶋屋の「家族愛」としてはわからぬでもないが、ここは、もう少し手強さが欲しかった。
『どんつく』歴代三津五郎追善の一幕。三津五郎の踊りのうまさを堪能。腰の位置、動いても真っ直ぐな身体の芯。踊りの安定感を確認。
團十郎の親方の不器用さが際立つ。それが愛嬌と言ってしまえばそれまでだが。
仁左衛門梅玉左團次魁春福助らが揃う。
『酒屋』観る前に、福助のお園が良いという噂が聞こえてきて、半信半疑ではあったのだが、確かに良かった。余計なことをしないのが何より良い。『今頃は半七さん」のところも、義太夫にまかせてしっとり。変な動きをしない。福助の魅力である可憐な美しさが、舞台から漂う。ただ、手紙を読むところの後半になると、ちょっと怪しかった。
竹三郎の半兵衛が非常に良い。松竹座の『引窓』の母親も良かったし、丸本歌舞伎の正しい脇役として、一層貴重な存在となるだろう。
我當の宗岸は、相変わらず糸に乗るテンポはないが、情愛があってまずまず。(やはり松嶋屋の伝統か)
宗岸と半兵衛が、それぞれお園の手を握ったりしながら芝居をするのが、とても良かった。夫に捨てられても貞節を守るお園への優しさが滲みでる。(ベテラン役者二人が、福助に「余計な芝居をさせないぞ」と左右で抑えている図式にも見えたけれど。)
下手に土間、上手に障子屋体を作って、舞台の間口を狭くしていたのも、密度の濃い芝居作りに効果的であったと思う。
福助のお園は、「半七さん」をしきりに「はんひっつぁん」と発音していたが、あまり強調するとわざとらしく感じる。