十月新橋 昼の部

kenboutei2010-10-10

昼の部を観る。先月同様、入りが悪いが、この演目でこの出来では、むべなるかな。
『頼朝の死』梅玉の頼家、魁春が初役で政子。錦之助の畠山、孝太郎の小周防、左團次の大江。
序幕からどの役者も真山青果の台詞になっておらず、台詞が良くなければ、この芝居は面白くも何ともない。南北、黙阿弥だけでなく、新歌舞伎の台詞さえ、今の役者はまともに言えないということがよくわかる、ある意味貴重な舞台。
初役の魁春は、幕切れで梅玉の頼家が嘆くのを、左隣で長刀を持ちながら棒立ち。顔も無表情で、もっと気持ちの入った顔にならないものか。
『連獅子』七代、八代、九代三津五郎追善。当代と巳之助親子による『連獅子』。昼の部の中では、一番見応えがある。といっても、三津五郎だけだが。
巳之助と並んで踊ると、さすがにその違いが一目瞭然。どんな振りでも流れるように自然に見え、しかもカドカドがしっかり形になってきれいに決まっているということは、隣にいてそれができていない巳之助を観ることで、よくわかるのであった。
同じように腕を伸ばしても、三津五郎は決して袖がまくり上がらず、下に着ている長袖を見せないが、巳之助はどうしても赤い長袖が見えてしまう。(しかも赤だから余計目立つ。)黙って座るという動作にしても、上体を全く変えずに動く三津五郎に対し、巳之助は前傾になったり目線を動かしたりするので、形がきれいにならない。
まあ、練習が嫌いで最近まで歌舞伎に進むことすらためらっていたらしい巳之助(←『徹子の部屋』情報)と坂東流の家元を同じ土俵で比べること自体無理があるが、怖々踊っているのが一目でわかる巳之助については、ようやく本格的に取り組むことを決意したことを慶賀とし、長い目で観る必要があるのだろう。
前シテ、谷底に落とされた子獅子が、再び這い上がろうとするのを、上手で見つめる親獅子の三津五郎の表情に、子供が同じ道を進んでくれることの嬉しさが表れていたと感じたのは、自分だけではないと思う。
毛振りは、勘三郎親子とは違って、揃ってもいないし、迫力もあまりないが、ぎこちない親子の一生懸命さは伝わった。特に三津五郎は頑張り過ぎたのか、最後に片足で立って幕が降りる間、フラフラとよろめき、観客からどよめきがあった。
三津五郎の獅子を観るのは、たぶん初めて。隈取りが映えてなかなか良い。一度、『鏡獅子』を観てみたいと思った。(踊ったことはあるのかな。)
『加賀鳶』團十郎の梅吉と道玄、仁左衛門の松蔵、三津五郎の巳之助(ややこしい)、福助のお兼。
團十郎の道玄はウケてはいたが、これではただの喜劇。台詞も動作も、ただ滑稽なだけで、松緑富十郎が作り上げた芸とは全く異質のものだった。
仁左衛門の松蔵は、貫禄があって良い。上方も江戸前もこなせるのだから、凄いものだ。
福助のお兼、『暗闇の丑松』のお今同様、とてもニンに合ってしまっているのが、この先不安だ。
  
帰りは天気も良くなったので、歩いて帰る。歌舞伎座がすっかり壊され、瓦礫と重機だけになっているのが、結構衝撃的である。(なくなってみると、プロントが入って出光の看板がある角のビルが、一層邪魔に見える。)