九月新橋 秀山祭 昼の部

kenboutei2010-09-12

九月の新橋は歌舞伎座から移っての秀山祭。昼の部を観る。
『月宴紅葉繍』梅玉魁春兄弟の舞踊。何だか前の歌舞伎座でも観たような光景。すぐに眠くなってしまうのも、歌舞伎座の時と同じ。
『沼津』吉右衛門の十兵衛、歌六の平作、芝雀のお米、歌昇の安兵衛。特に歌六の平作というのは、家の芸でもあり、今回の播磨屋復帰に相応しい配役。旅では演じているが東京では初役、それに吉右衛門が十兵衛で付き合うので、かなり期待していたのだが、結果は、それほどでもなかった。
まず、吉右衛門の十兵衛が、思ったより良くない。最初の花道で、軽い足取りでひょこひょこ出てくるところから、何となく違和感があった。吉右衛門にしては軽量すぎる十兵衛。しかし、平作家から出発する時、提灯の蝋燭がどれだけ持つかと尋ねるふりをして、父親とわかった平作の顔を確かめる工夫などは、実に面白く観た。
期待の歌六は、かなり固い。特に前半は手強過ぎて、十兵衛とのやりとりが全然弾まない。これは吉右衛門歌六という、どちらも笑いのある世話場には似合わない硬質な芸風によるせいかもしれない。どちらかが上方風のおかし味のある役者であったら、印象も違っていただろう。
平作住居の場で、播磨屋復帰の口上がつく。
幕開きの歌江の妊婦が楽しく、それを見守る吉之丞の茶屋女房も良い。
『荒川の佐吉』仁左衛門の佐吉は、前回大いに泣かされたのだが、今日はあまり感動しなかった。それは何故だろうと考えたのだが、今回の仁左衛門は、卯之吉を母親に返すことに満足感があり過ぎる点にあったのではないだろうか。要するに、卯之吉の将来を思っての選択の正しさに納得し、佐吉自身にも未練がないように思えたのである。花道を去る仁左衛門は泣いているのであるが、どこか納得した笑顔のようにも見え、何だかハッピーエンドで終わってしまったと受け止めた時点で、自分の中での感動が薄れたのだろう。
佐吉が卯之吉を手放す背景には、自分の身分、社会の仕組みなど、佐吉にとっての不条理な環境があるはずなのだが、そこに思いを至らせず、ただの親子の「いい話」に向かっていったような気がする。
卯之吉は孫の千之助。相政に吉右衛門が付き合う。辰五郎に染五郎、仁兵衛は段四郎。成川郷右衛門は左團次休演で歌六。八重に孝太郎。
丸総女房お新の福助は、ただただ泣いてばかりだが、この役はそれだけではないだろう。

『寿梅鉢萬歳』藤十郎。好きなように踊る。引抜きもあり、最後は花道を引っ込む。袂をまくり上げ、『曾根崎心中』のお初のような恰好で去って行った。