2月歌舞伎座 夜の部

kenboutei2010-02-07

『壺坂霊験記』平成11年に芝翫吉右衛門で観て以来。『志渡寺』や『吃又』と同じ奇跡譚だが、それほどの見せ場もない愚劇という印象が強く、全く期待せずに観ていたのだが、福助のお里、三津五郎の沢市のコンビが程よくて、飽きることはなかった。特に福助は、最初の出から、奇を衒うことなく、万事控え目で、それが沢市を一途に思う心に繋がっていて、久しぶりに感心した。三津五郎の沢市も、台詞と動きの中で、盲目の苦悩、妻への複雑な思いをうまく表現していたと思う。
といっても、感動的な芝居かというと、やはりそういうものではないよなあ。(今時、この程度の奇跡では泣けないだろう。)
観世音に玉太郎。
『高坏』勘三郎の次郎冠者。下駄のタップダンス。勘三郎は軽く流す感じ。それほど下駄の音を響かせない。タップダンスの前の、酔って橋之助の高足売や彌十郎の大名と絡む場面の方が、勘三郎らしさが出ていて良かった。亀蔵の太郎冠者。
『籠釣瓶花街酔醒』勘三郎の次郎左衛門、玉三郎の八ツ橋、仁左衛門の栄之丞。
今日の舞台を観ていると、吉原という風俗産業の冷徹な拝金主義・収奪システムの仕組みが、とても良くわかる気がした。
結局、立花屋の連中は、八ツ橋と栄之丞の関係を知りつつ、次郎左衛門から取れるだけ金を取ろうとしていただけなのである。身請け話が具体化することは、立花屋にとっても金が転がり込む話であり、それを壊しかねない栄之丞の存在は、何が何でも隠そうとする。
間夫の存在を次郎左衛門がもっと早くに知っていたなら、おそらくは真面目な田舎商人のことだから、あっさり身を引いてしまい、金づるにはならなくなるとの考えも働き、皆黙っていたのだろう。
そして、身請け話も、もうここまでくれば八ツ橋も断りはしないだろう、いや引手茶屋として断りはさせないという強い意図が働いていたことは自明である。八ツ橋自身が栄之丞との関係を清算するか、或いは身請けが成立するまで徹底して栄之丞の存在を隠し通すかを、無言の圧力で八ツ橋に強いていたのである。
八ツ橋は、その雰囲気というか、こういう成り行きでは当然に帰結するシステムに抗えず、どんどんと外堀を埋められて行く。
身請けの話は進む。しかし八ツ橋には、身請けする気は全くない。(栄之丞には、相変わらず着物を贈ったりと甲斐甲斐しくしている。)
まるで普天間問題での今の総理大臣みたいな(?)、曖昧で八方美人な八ツ橋の態度は、ある意味では吉原システムへのしたたかな抵抗にも受け取れるが、実はただ自ら何もできずに無為に時を費やしているだけであり、結果的には悲劇を生むことになる。
次郎左衛門は面前での愛想尽かしという恥辱を味わうことになる、何だか可愛そうな存在なのだが、一方で八ツ橋側からこの物語を眺めると、栄之丞との愛に割り込む邪魔な男であり、吉原のしきたりの中で現れるべくして現れる身請けの金持ちで、二人の純愛を邪魔する敵役にすぎない。(『曾根崎心中』でいえば九平次であり、『吉田屋』でいえば、阿波の大尽ということになる。)
この『籠釣瓶』は、普通は廓に捕われている遊女側から描く物語を、捕えている廓側の視点(常連となった次郎左衛門は、愛想尽かしの前までは、廓側に立つ男である。)で描くことで、吉原の店と遊女と客の関係を相対化しているのである。
一旦田舎へ引っ込み、再び江戸に戻った次郎左衛門の前で、立花屋は、何事もなかったように営業を続け、八ツ橋もまだ花魁のままである。おそらくは栄之丞も間夫のままで、それを周囲の太鼓持ちや仲居達も、相変わらず知らぬ振りをしているのだろう。
次郎左衛門の籠釣瓶は、八ツ橋を斬っただけでなく、灯を持ってきた仲居も斬り殺す。それは、八ツ橋への強烈な恨みと同時に、自分もその歯車の一部であった、吉原収奪システムへの、意趣返しでもあったのではないだろうか。

そして、おそらく玉三郎は、この構造を実によく理解しているのだと思った。
玉三郎の八ツ橋にあるのは、そうした世界で生きなければいけない女の、一種の諦念である。序幕の道中で出てきた時の表情に浮かぶ、虚無感。どこか別世界に漂っているかのような、不思議な佇まい。
愛想尽かしにしても、ここにいて、ここに在らずという感じ。それは、実は見せ場としては物足りなかったということでもあるのだが、結局、八ツ橋の心は、常に栄之丞にあり、栄之丞のことしか考えていないのが、玉三郎の八ツ橋なのである。だから、今日の玉三郎は、縁切りの場の前の、廻し部屋の場でのやりとりが、栄之丞への愛がとりわけ出ていて、一番良かったように思う。(しかし、その愛は強いものの、福助の八ツ橋程、露骨に表には出ていない。)
相手である仁左衛門の栄之丞は、全くの二枚目。彌十郎権八と組んでいても、良い人に見える。だからこそ自分は、玉三郎との純愛を、肯定的に捉えてしまうのであった。
勘三郎の次郎左衛門は、それ程良くない。田舎者の感じがしないのと、恨みが内に隠らない陽性な性格がマイナスに作用していると思った。殺しの場で、八ツ橋が席を外した隙に、素早く足袋を脱いで座布団の下に隠すのは、今回初めて気がついた。
七之助の七越の、最初の花魁道中が綺麗で良かった。将来の八ツ橋が十分期待できる美しさ。
勘太郎初役の治六は、普通。
秀太郎のおきつが、さすがの貫禄でうまい。(何と言っても吉原収奪システムの要である。)
我當立花屋長兵衛。足が相当悪いのか、正座ができず、腰掛けを使っていた。
九重に魁春
 ・・・うーん、『籠釣瓶』の感想はいつもこんな感じになって、何だか支離滅裂ですな。