『チェンジリング』

kenboutei2009-03-07

マリオンの東宝日劇で、クリント・イーストウッドの新作『チェンジリング』を観る。
昔の白黒のユニバーサルのマーク(おそらくこの映画の舞台設定と同じ1920年代に使われていたマークだろう)の後、暗闇の中から水滴が一滴落ちる。そこにトランペット(ミュート付き?)が静かに響く。
控え目にタイトルが表れ、俯瞰でロス郊外の街並みが映し出される。モノトーンの色から、だんだんと色が滲み出て来る。音楽は、静謐なピアノの旋律に変わっている。
このわずか1分程度のオープニングだけで、もうイーストウッドの世界にとっぷりと浸ることができる。
ゆったりとしたカメラワーク、抑え気味の演出、時折印象的に差し込まれる、静謐なピアノの旋律。
全てがイーストウッドのテイストで調えられている。極めて個人的でありながら、普遍的な力を持った極上の映画。
ストーリー以前に、このイーストウッド・テイストを存分に味わえる幸せを感じた。
・・・行方不明となった息子が、数ヶ月後に見つかるが、それは全くの別人。しかし、警察当局は自らのミスを認めず、逆に母親の方を精神異常に仕立ててごまかそうとする。やがて別の殺人事件から、事態は急変していく・・・。
1920年代のロス市警のでたらめさや、猟奇的殺人事件の事実は、俄には信じられないものであるが、イーストウッドは、それをじっくりと、淡々と、暴き出して行く。まさにダーティー・ハリーが、そのままメガホンをとったようでもある。
子供の虐待を扱っているのは、『ミスティック・リバー』を思い出させ、直裁なものではないが、物語の背後で命の尊厳さを考えさせる点では、『ミリオンダラー・ベイビー』にも通底する。
息子を探し続ける母親に、アンジェリーナ・ジョリー。こんなにも唇一つで全ての感情を表現できる女優を知らない。
息子を労る時の慈愛に満ちた唇、息子が消えた後の不安気な唇、警察と闘う時の怒りの唇、警察の不正が暴かれた時に見せた微笑に浮かぶ、勝利への満足感と誇りの唇、そして、映画の終盤で「hope」という言葉を口にした時の、唇。
アンジェリーナの分厚い唇は、単にエロチックなだけではなかったのだ。
ジョン・マルコビッチが、母親を支援する牧師役。髪の毛があるので最初は気がつかなかった。
狂気の殺人鬼役はジェイソン・バトラー・ハーナー。ロバート・ボーン似のハンサムで、どこか挙動がロス疑惑の三浦知義のようでもあった。
別の家族の元に戻って来た子供が、何故今まで名乗って出てこなかったのか、と刑事に聞かれた時の答えに思わず流れ出した涙と洟水は、最近とうとう自分にも襲ってきた花粉症で出るそれとは、全く異質のものである。