『妻という名の女たち』

kenboutei2009-03-04

神保町シアター東宝芸映画の世界)で、『妻という名の女たち』。
司葉子、小泉博、左幸子児玉清、団令子という、地味な配役。
夫がバーのママと不倫状態になっても、ひたすら耐えて待つ妻。一度はよりを戻すが、最後は別れを決意する。
離婚調停のための、家庭裁判所の場面が面白い。
夫は、妻が子供を産んでから潔癖になったと主張。妻は、妊娠中に夫が病気になったことが許せないという。婉曲だが身も蓋もなく閨房のことを聞き出そうとする調査官に対し、セックスレスとも性病とも言わずに説明し、それで会話が成立しているのが、当時の時代である。今の10代、20代では、この会話は理解できないかもしれない。(もっともその世代の子は、もっぱら隣の吉本のお笑い劇場の方に集まっており、こっちの映画館にはいないのだが。)
司葉子は、和服の礼装が似合うのはもちろんなのだが、髪も乱れ、化粧っ気もなく子供や夫の朝の食事を用意している方が、色っぽく感じた。一方で、一度よりを戻した時、朝から真っ赤な口紅をつけ、夫の頬にキスをする姿は、あまり美しく見えない。
司葉子の夫役の小泉博は、男として身勝手な台詞を、全く他人事のように言うので、どうにも現実感がない。これが森雅之だったら、ずいぶん違った色合いになっただろう。要するに、ニンが違うということである。
左幸子は、バーのママ。『人生とんぼ返り』の可愛さはすっかり消え、元々自分のイメージにあった、怖い左幸子になっていた。
児玉清も登場。自分より収入の多い妻の尻に敷かれる若い男の役。小泉博同様、冷静・分析的で、その役に熱のこもらないタイプ。この後、共にクイズ番組の司会となるのも、何だか納得できるような気がした。
最終的には女性の自立を描くことになるのだが、女は男に縋って生きるしかないような、当時の社会システムは、今の眼からは、別の国の話のような感じもする。時折起こる観客からの笑い声(それも女性が多い)が、それを象徴していた。この映画が当時のサンパウロ映画祭でグランプリをとったのも、そういう異国の風習への興味があったのだと思う。
昭和38年、筧正典監督の、カラー・シネマスコープ。(神保町シアターでのシネスコは、スクリーンが近い前方の座席では、かなり圧迫感があった。)