『女であること』

kenboutei2009-02-02

神保町シアターで、川島雄三監督の『女であること』。
川島雄三の映画を観るのは、かなり久しぶり。今はなき大井武蔵館以来かな。(それとも、むつ市での「川島雄三映画祭」が最後だったかも。)
いきなり、タイトルソングを歌う、美輪明宏(当時丸山明宏)が登場。
今と違って化粧っ気もなく、頬骨がはっきりとしているスキニーな容姿は、まるっきり男そのものであるのだが、カットごとに着替えられている妖しげな衣装と、これは今に至るまで健在な、魅惑的なボイス、そして淫靡感漂う姿態によって、我ながら男としてちょっと気持ちが揺れ動き、一瞬ではあるが、シド・チャリシーに似ているなあとさえ思ってしまったことを、正直に告白せねばなるまい。
その後、テンポの良い音楽に乗って、若い女性が都会を自転車で疾走する場面が、ワイプ多用で映し出されて行く。
この女性は、後の登場人物から、おそらく久我美子だったろうと思われるのだが、この時点では顔がわからず、また、その後の話の展開との繋がりはほとんどなく、一体意味のある挿入だったのか、謎が残る。
謎といえば、この自転車場面の後、今度は3機の戦闘機が日本家屋の上空を、左上から右下に飛び去る(見方によっては、家屋に突っ込むようにも見える)場面となる。
戦争中の話だろうかと思ったところに、香川京子原節子森雅之が次々と登場、その服装を見ると、そうでもなさそうだ。
どうやら、香川京子の夢の一場面の映像化のようだと、その会話から想像できるのだが、わざわざ東宝特撮陣(たぶん)の手を煩わせてまで必要なものとは思えない、謎のカットであった。
弁護士夫婦に森雅之原節子。弁護士が扱っている殺人事件の容疑者の娘が香川京子原節子の友人の娘役に久我美子。かつて原節子が愛した男に三橋達也
弁護士夫婦の平穏な家庭に入り込み、波風を立てる久我美子が、どうにも苛ついて仕方がなかった。オードリー・ヘプバーンを意識した所作や、小悪魔的な振る舞いが、ことごとくニンに合っていない。
しかしまあ、これは、川端康成の原作を、うまく消化しきれていない、川島雄三の演出にも問題があったのかもしれない。冒頭から、どこか行き当たりばったりで、それが久我美子の娘役そのものに、端的に表れていたのだと思う。
小説における人間関係や心理描写などの複雑さに、映画が負けてしまったような感じだった。逆に、先日観た『挽歌』は、甘いメロドラマの方向に処理することで、映画として成功したのだと思う。(どちらも小説の方は読んでいない、当て推量だけど。)
東京物語』を思い出させる、原節子香川京子の共演が嬉しい。
森雅之は、これまで観てきた不倫男とはちょっと違い、真面目な夫役。しかし、久我美子の強引な誘惑に負け、草むらでキスをしてしまう。やっぱり森雅之だ。
久我美子原節子の唇を奪うシーンもあった。
・・・結局記憶に残るのは、最初の美輪明宏と戦闘機くらいかな。
昭和33年の作。