『挽歌』

神保町シアター。今日は二本立てのつもりで、次の『夜の鼓』も購入。映画の日ということで、一本1,000円。30分以上前に来たのだが、番号は既に50番近くになっていて、結局満席となる賑わいであった。年配の女性客がかなり多く、それは森雅之特集に加えて、原田康子の原作によるところが大きかったのだろう。
釧路を舞台にした恋愛ドラマ。原作は読んではいないものの、名前程度は知っていた。(そういえば北海道で同人誌を作った時、先輩の指示で原田康子にも送ったことがあったなあ。もちろん返事は来なかったが。)
森雅之は釧路で建築設計事務所を営んでおり(先日の『妻として女として』も建築の先生だった。)、妻の高峰三枝子は東京の医学生渡辺文雄と不倫中。その事実を森雅之は黙認している。そんな中、近所に住む劇団の美術を手伝う久我美子と知り合い、森と久我は愛するようになる。久我はその一方で、気品ある高峰にも興味を持ち、森が札幌に出張中、高峰と仲良くなる。が、高峰は森と久我の関係を知らない。(しかし、久我は高峰と渡辺の関係を知っている。)
やがて高峰も全てを知ることとなり、その原因が自分の不倫からだと思い悩んだ結果、釧路湿原の中で自殺してしまう。
芥川也寸志の音楽を含め全体的に甘い演出で、自分には苦手な部類の映画に入るが、フランス映画風の異国情緒を漂わせた作りはかなり本格的。舞台が釧路である必要があるのかはともかく、硫黄山らしき場所を一人歩く久我美子で始まるオープニングは、映像的にはありだろう。
木造の橋の前で逢い引きする高峰三枝子渡辺文雄の場面は、まだ観てはいないがイーストウッドの『マディソン郡の橋』を想起させた。
自殺した妻の現場検証で、湿原の遠くを見つめる森雅之の右目に浮かび出た、ほんのわずかな涙の光が、とても印象的であった。
この映画でも、「今のままでいい」という台詞が出てくる。しかし、それはいつも男の身勝手さを代表する森雅之が言うのではなく、自らが背徳の愛に嵌っていった久我美子の方が言うのであった。
そしてこの時、「今が一番大事な時なのよ」と諭すのが、高峰三枝子である。
結局、男と女の関係に、いや世の中全てがそうなのかもしれないが、安定などはないのであって、それは時の流れが止らない以上当たり前のことであり、だからこそ、「今が一番大事なのだ」と思うことが肝要なのだろう。
・・・森雅之の不倫映画(?)を観続けているうちに、とうとうそんなことまで考えるようになってしまった・・・。
昭和32年の作品なので、まだ生まれてもいなかったが、それでも自分の郷里に近い釧路の町並みには、どこか見覚えのある懐かしさを感じた。駅のロータリーや幣舞橋、その向こうの坂など、建物の変化はあるが、位置関係の構図は今も変わっていない。
久我美子の父親役で、斉藤達雄。風貌が小津安二郎にそっくりになっており、動く小津監督はこんな感じだったのだろうかと、思わず夢想した。
その斉藤達雄の再婚相手になるのではと思わせる女性に、高杉早苗カメオ出演。なるほど猿之助の母親であると納得させる風貌となっていた。
松竹の富士山の後、見覚えのある鳳凰の紋と「歌舞伎座映画」というクレジットで映画が始まる。当時の歌舞伎座がこの映画を製作したらしいが、どういう背景があったのか、ちょっと気になった。
オープニグのタイトルソングは、越路吹雪
監督五所平之助