『世界大戦争』

kenboutei2009-01-15

京橋フィルムセンターで、『世界大戦争』。
おなじみの東宝特撮映画だが、監督は社長シリーズの松林宗恵昭和36年の、なんと芸術祭参加作品。
核ミサイルによる最終戦争を、真っ正面から描く。
といっても、実際の米ソ対立のリアルなシミュレーションにはほど遠く、極めて観念的、センチメンタルな作りで、シビアな国際情勢にさらされている外国人が観たなら、おそらく奇異な感じがしたのではないだろうか。
しかしながら、原爆を落とされてまだ16年しか経過していない日本人にとっては、ある意味必然的に作らねばならなかった映画だったのであろう。その結果、世界のどこにもないような種類の映画となった。
同盟国と連邦国の微妙な均衡が崩れ、両陣営での戦争になった時、日本政府は、「核兵器だけは使わないでくれ」との声明を出す。戦争を具体的にやめさせる行動もとれずに、ただ懇願するだけの声明が全く意味をなさないばかりか、場合によっては無責任で迷惑な行為となることは、まがりなりにも当時より国際社会での経験を積んできた今の日本人なら、冷静に理解できるところであろうが、一方で、このとことん無力で無垢で無邪気な日本のままでもよかったのではないかという気持ちにもなった。国際社会の中で、ただ祈るだけの国であることも、また価値があるのかもしれない。少なくとも、できることなど限られているくせに、大国の責任を果たすなどと空威張りするよりは、ましな態度だろう。
焼け跡から復興を果たした当時の東京(オリンピックで変貌する前の東京)がよく描かれているのが興味深い。
主演のフランキー堺乙羽信子が、夫婦なのか親子なのか、最初はわからなかった。同様に、星由里子がフランキー堺の娘であることも、わかるのに時間がかかった。
フランキー家の居間にあるカラー・タンス、白黒テレビや、二階が下宿になっていること、幼稚園での万国旗、水枕、氷嚢などなど、自分の幼かった時(といっても昭和40年代だが)の環境と共通する、まだ貧しかった頃の日本の日常風景が、とても懐かしかった。
円谷英二の特撮の見事さは、今更言うまでもない。ラストの世界主要都市の爆破シーンは、その後の映画での使い回しで何度も観ているが、オリジナルできちんと観られたのもよかった。
音楽は團伊玖磨だが、人類の終末を描いたスケールや荘厳性からいくと、やはり伊福部昭の方が相応しかったと思う。
笠智衆の最後のつぶやきは、彼自身のフィルモグラフィーの中でも、名台詞に挙げられるだろう。

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