五月新橋演舞場・昼の部

kenboutei2008-05-18

『毛谷村』亀治郎初役のお園。正月浅草の『金閣寺』雪姫同様、雀右衛門に教わったものだと思うが、化粧まで雀右衛門に似ていたのには驚いた。雀右衛門特有のアイラインも入っていたのではないか。
眼目の花道の出は、女性でありながら虚無僧に扮し、しかもそれを女形が演じるという、錯綜した設定で、ここの雀右衛門の歩みは定評があるが、今日の亀治郎は、最初から胸を張って堂々と歩んでいて、男っぽさが強過ぎた。声も立役そのものとなっており、ちょっと単純で面白味がなかった。
六助に見顕されて、急に女性っぽくなるところは、なかなかうまい。
染五郎の六助は、人の良さはよく伝わってきたが、その一方で剣術の達人でもあるということは、あまり感じられなかった。まだ役の掘り下げが足りないといったところか。
上手の木戸外で、子供とやりとりするところは、愛情溢れる良い場面であった。この辺は、自ら子供を持った心情が反映されているのかもしれない。
吉之丞の母親が立派。かつてこの芝居を国立劇場で初めて観た時の、又五郎のうまさを彷彿とさせた。最後に、お園の紅梅に対抗して、白い椿を手折るところの動きに何とも言えない味があった。
錦之助の弾正は、試合を負けてくれと頼むところが、六助の友達のように見えてしまい、とても極悪人には見えなかった。ただ、引き上げる時の花道七三での見得は立派。目に力が入るようになってきた。
全体に破綻のない芝居ではあったが、それほど強い印象は残らない。
『藤娘・三社祭・勢獅子』まず福助『藤娘』。暗闇からパッと明るくなった時から、もうニコニコ顔。客席三方に向かって礼をする時には、まるでカーテンコールに応えているかのよう。・・・顔の表情ばかりが気になって、踊りそのものがどうであったか、あまり覚えていない。(寝てはいなかったのだが。)
次の三社祭染五郎亀治郎の小気味良い踊りで、溜飲が下がる。特に、善と悪の面を被ってから、二人の踊りの違いがはっきりわかって面白かった。亀治郎の善玉は、繊細で優雅、指の先まで神経が行き届いており、その品の良さに感心した。染五郎の悪玉は、勢いとキレで踊る。亀治郎に比べると荒っぽい。(この二人の踊りの違いが、それぞれの芸質の差なのか、それとも悪玉・善玉の役の違いからくるものなのかは、自分にはよくわからない。おそらく両方あるのだと思うが。)
最後が『勢獅子』歌昇錦之助、その他大勢。前に梅玉松緑團十郎だったかな?)で観た時は、獅子舞を彼ら自身でやっていたが、今日は、錦弥などが入っていた。色々やり方があるんだろう。
『一本刀土俵入』吉右衛門の駒形茂兵衛。筋書の上演記録によると、東京では平成九年の歌舞伎座以来。
身体が大きいので、取的としては申し分ない。が、落第力士としては、まだ立派過ぎる。一方で博徒となってからは、一匹狼というより、どこかの大親分のように見える。要するに、吉右衛門のスケールが、この役からはみ出ているのである。(それは、夜の部の伊右衛門にも、実は当て嵌まることであった。)
それだけ大きな役者であるということだが、この芝居に関しては、勘三郎の茂兵衛の方が自分好みである。
芝雀のお蔦は、最初に安孫子屋の二階から顔を出した時は、少し女優めいていたが、しゃべりだしてからは、良くなった。
歌昇の弥八が力演。歌六の儀十も立派。
今回の舞台で最も印象に残ったのは、大詰第一場の布施の川べりの情景である。由次郎の老船頭、桂三の老大工による、味わいのある佇まいと会話。周囲で博徒たちが騒ごうと、彼らの日常は、おそらく昨日も今日も、そして明日も変わらないのだろう。そんな雰囲気が、彼らの何気ない動きや話し振りから伝わってきた。若船頭で一緒にいた種太郎も健闘していた。
とても良い一場であった。