五月歌舞伎座・昼の部 海老蔵の知盛

kenboutei2008-05-04

『渡海屋・大物浦』海老蔵が初役で知盛に挑戦。一昨年は新橋で「四の切」の忠信、今度の7月にも「四の切」に加え、「鳥居前」と「吉野山」が予定されており、そのうちに「すし屋」の権太もやってしまいそうな勢いである。
次々と新しい役に挑戦している海老蔵、その出来不出来の振れ幅も激しいものがあるが、今回の知盛は、とても良かった。
まず、「渡海屋」で、銀平として花道から出て来るところ、ちょっと胸を張って反り身で歩く姿が、父・團十郎にも似ているし、そして、やはり十一代目の容貌にもそっくりで、それだけで嬉しくなってくる。
義太夫狂言ではあるが、この場の台詞は義太夫味が薄いせいか、海老蔵自身の台詞廻しも、違和感なく耳に入ってきた。知盛になっての白装束姿も、立派な顔立ちで惚れ惚れする。最近顕著に目立つようになった顔の表情での演技は、今日も多少あったが、それほど気にはならなかった。
最後の引っ込みでの見得が見事。
「大物浦」の知盛は、一段と格好良い。血塗られた顔の凄みは、スチール写真や断片的な映像で目にしたことのある、映画『雄呂血』の阪妻を思い出させた。今時、往年の時代劇役者に匹敵する程の、凄みある顔を持つ役者は、そういるものではない。
動きそのもの、もしくは型として印象に残るところはなかったが、どこか海老蔵の知盛には、平家没落の無念と哀感だけでなく、自分の思い通りに行かない世の中への苛立ちのようなものがあり、そこが魅力的に感じた。特に、舞台中央で力尽き、義経らを右手に見上げるところの、その横顔などに、そういう気持ちが伝わってきた。
普通、初役であれば、浅草の時の獅童のような熱演になってもよさそうなものだが、海老蔵の場合、どこかにクールさがあり、それが意外と安定感のある知盛にも見えた一方で、苛立ちを内に秘めたニヒルな知盛像にも繋がったような気がする。
台詞廻しは、時々哀調含みとなって弱々しくなるのが、残念。たとえ傷ついた知盛であっても、しっかり肚のある台詞で通してほしかった。見得でいちいち唸る癖は相変わらず。
魁春典侍の局は「大物浦」の方が良い。戦況を見守っている時の品の良さ。
團蔵の弁慶は既に持ち役。友右衛門の義経は、顔と身体のバランスがどこか変だった。(こんなに顔が大きかったかな。)
昼の部一番最初のせいか、全体的な熱気は今一つ。ただ、自分としては、海老蔵の知盛を堪能できて、2時間は全然飽きなかった。

『喜撰』食後(隣のヌードル店)のため、ほぼ熟睡。三津五郎の喜撰だけに、何とか頑張ろうとしたのだが・・・。三津五郎の花道の踊りの素敵な柔らかみと、舞台装置の枝垂れ桜と背景が美しくマッチしていたのは記憶にある。・・・時蔵出てた?
『幡随長兵衛』團十郎の長兵衛、菊五郎の水野。藤十郎がお時で付き合う。良かったのは「長兵衛内の場」。ここでの團十郎藤十郎のやりとりが、さすがに重厚感がある。三津五郎の出尻清兵衛が、うまい。
團十郎が舞台上で、ちょうど今やっている鐵砲洲のお祭りのことに触れたが、殆ど反応はなかった。
それにしてもこの芝居は、後味が悪く好きになれない。武士と町人の対立関係をもっと理解すると少しは興味を持てるだろうか。それより、團菊祭に拘らず、菊五郎に長兵衛をやらせる方が面白いような気がするが。(團十郎より良いかも。)
帰りの自転車、祭りの御輿にぶつかり、思わぬ難渋。