二月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2008-02-10

白鸚追善、夜の部。昼の部の終わりが遅く、入れ替えの混雑がいつもよりひどかった。序幕の『対面』の埃鎮めが長めに思われたのも、もしかしてそのせいか?
『対面』富十郎の工藤、三津五郎の五郎、橋之助の十郎。他は芝雀、孝太郎、歌昇東蔵、松江、市蔵、亀蔵、亀三郎。陣容も内容も、地味な印象は拭えなかった。
三津五郎の五郎は、襲名時に観ているが、その時よりも、勢いや荒々しさに欠ける。工藤からの盃を受ける時、勢い余って盃が飛んでしまうというハプニングがあり、孝太郎の化粧坂三津五郎のかっらぽの手に酒を注ぎ、三津五郎は、見えない盃を地面に叩き付けていた。
今日の舞台が地味な印象を与え、祝祭的な雰囲気に欠けていたのは、富十郎の工藤があまりに実事風であったことも一因かもしれない。朝比奈が話しかけると、閉じた扇子に両手をかけて聴き入ったり、曽我兄弟が舞台に来た時、わざわざ覗き込んで、誰かに似ていると語りかける。もちろん、その動作は座頭として相応しい堂々としたもので、また、その明晰な口跡によって、河津三郎を殺害した時の様子などを含め、あまりこれまでの『対面』では気にもとめない、曽我「物語」の構図がよくわかるという、成果はあった。また、三津五郎から前回のような荒々しさがなく、どちらかというと、折り目正しい五郎になっていたのも、そうした富十郎の芝居を受けた故かもしれない。
以前、海老蔵の五郎を観た時には、その荒ぶる魂そのものといった動きに、「曽我もの」の原点を知った思いであったのだが、今日の舞台の印象は、それとは180度異なる、文学的な「曽我物語」の発見だったような気がする。地味ではあるが、近代的で教科書的な『対面』であった。自分としては、海老蔵のような原初的前近代的な方を好むけれど。
歌昇初役の朝比奈が、大きくて良かった。
富十郎は、最後の鶴の見得で立ち上がらず、座ったままだったのが残念。膝は相当悪いのかな。
『口上』幸四郎雀右衛門吉右衛門染五郎松緑

  • 幸四郎:晩年、入院中の白鸚の前で、夫人が巡業中に贈ったバレンタインデーのチョコについて、どこの巡業地だったかを思い出せないでいると、それまで黙っていた白鸚が一言、「松江だよ」。また、麻酔なしの手術が痛かったかと聞くと、「わからん」。「人間の痛みの限界がどこまでなのかがわからない」とのことだった。
  • 雀右衛門女形になった時、『鳴神』で上人を勤めてくれた。今月盛況で何より。(心配していたが、何とか破綻なく言い終えた。)
  • 松緑:三代同時襲名時、子役で出演。
  • 吉右衛門:昼の部で『関の扉』関兵衛。まだまだ実父には及ばないが、昼の部も是非観てくれ。
  • 染五郎白鸚とは「七段目」で力也。その「七段目」で、今月は吉右衛門に教わり平右衛門。

最後に再び幸四郎が、この口上の襖絵の松が、白鸚の描いた松が原画であることと、染五郎の『鏡獅子』について、かつて子供歌舞伎で一度染五郎が踊った時、松緑が「高麗屋から弥生を踊る役者が出るとは」と言ったということを紹介しながら、初役の染五郎をよろしくと頼んで幕。
これも幸四郎が言っていたことだが、派手を好まなかった白鸚に因んで、親戚だけの5人の口上にしたのは、先人を偲ぶには相応しい、家族的なものであったと思う。(ただ、松緑を出すのなら、成田屋からも誰か出てほしかったなあ。)
『熊谷陣屋』幸四郎の熊谷、芝翫の相模のコンビを観るのは、これで三回目、しかも前回の平成18年10月は、魁春の藤の局、段四郎の弥陀六、錦吾の梶原まで全く同じ配役。『熊谷』自体も歌舞伎座では昨年9月に吉右衛門の熊谷、富十郎の弥陀六、芝翫義経でやったばかり。いくら白鸚の追善とはいえ、これは芸のない出し方だ。白鸚追善に相応しい演目は、まず何よりも『勧進帳』のような気がするのに、あえて食傷気味の『熊谷』を出すのが全く不思議である。(まさか、幸四郎の弁慶千回のカウントダウンに関連して、『勧進帳』を見送ったというわけでもあるまい。)
というわけで、幸四郎芝翫のリアル芝居コンビは、今回もやはり自分にはつらい一幕であった。ただ、梅玉義経段四郎の弥陀六が出ることで、気分が大きく変わることだけが救い。『熊谷陣屋』そのものが、義経と弥陀六の芝居のように思えた。特に段四郎の弥陀六は、これまででも一番立派であった。
『鏡獅子』口上で父親も応援する、染五郎初役の『鏡獅子』。なかなか新鮮で、良い舞台だったと思う。特に、前半の弥生が良い。やや腰高なところは気になるものの、扇の使い方などスムースで、初役にしてはしっかり踊りこんでいて、好感が持てる。後半の獅子は、先月の『連獅子』でも毛振りを観ているので、あまり新鮮さを感じなかった。(こういうところにも、松竹の演目選定のセンスのなさが露呈している。)
また、胡蝶の二人、梅丸と錦政の達者な踊りにも感心した。鞨鼓も鈴太鼓も実にうまく操り、踊りとして純粋に楽しめた。特に背の大きい方(梅丸?)の踊りは、子役の域を超えている。