歌舞伎座・新年初日夜の部

kenboutei2008-01-02

初春に團十郎助六がかかるとあれば、是非初日に観たかったので、それに合わせて帰省スケジュールを調整、早朝田舎を発ち、昼に帰京、一旦自宅に戻ってから駆けつける。
『鶴寿千歳』歌昇錦之助、孝太郎の松竹梅の踊りは、いわば前座。この後、芝翫の姥と富十郎の尉がセリ上がってきてから、この舞台は今夜一番の見ものとなった。
芝翫富十郎も、白髪の老人姿。ちょうど『ぢいさんばあさん』の、るんと伊織の老夫婦のような雰囲気。まず、二人のこの雰囲気が非常に良い。共に労り合いながら踊る姿に感動してしまった。例えば、芝翫が花を手折って扇にかざす動作をしている時、富十郎は、芝翫を実に愛しそうに見入っている。そこに醸し出される、温かな情愛は、芝翫富十郎でなければ出てこないものであろう。踊りとしては、たいした所作があるわけではないが、二人とも、一つ一つの動きに古風な味わいがあって、観ていて全く飽きない。「絵になる」とは、こういうことを言うのだろう。特に芝翫は、白髪姿ながら、気品に満ちあふれていて、とても良かった。芝翫富十郎というめったにない組み合わせもあり、これは貴重な舞台だったと思う。
『連獅子』幸四郎染五郎勘三郎親子で新橋演舞場で観たばかりだし、幸四郎親子も平成17年に歌舞伎座で出している。前の幕も踊りであり、色々な意味で食傷。
親獅子の幸四郎は、もう肉体的にきつそうであった。毛振りは、自ら「これで終わり」と足踏みで合図していた。勘三郎親子に比べて面白味に欠けるのは、何故なのだろうか。
助六よくできた芝居なので、2時間休みなしでも全く飽きなかったのは、初日の今日も同じであったが、舞台の出来としては、それほど良くなかったように思う。
團十郎は、風邪気味なのか、いつも以上に鼻がつまったような甲高い声で、台詞廻しに精彩を欠く。「キモが大きい」が「ヒモが大きい」と聞こえる始末。この台詞のまずさで、助六の魅力が半減してしまった。最初の出端も、ぎくしゃくした感じで、流れる動きに乏しい。もっとも、ぱっと止まった時の見得や形は非常に見栄えがするのは、さすがである。
福助の揚巻。初役ということで楽しみにしていたのだが、花道の出が、酔っぱらい過ぎ。ほろ酔い気分ではなく、泥酔に近い。酔い気分から滲み出る色香ではなく、今にもアルコールの匂いがしそうな感じ。舞台まで来ると、酔いも醒めたようで、普通に綺麗な揚巻となる。悪態の初音は、力み過ぎの感はあったが、まだ許容範囲。台詞廻しの方は、全体に歌右衛門のそれをよく写し取っていたように思う。満江と共に再び出てきた時は、終始控え目で、良かった。
良かったのは、左團次の意休と、段四郎のかんぺら門兵衛、そして、芝翫の満江。
左團次の意休は何度か観ているが、いつもの左團次独特のアクの強さがなく、台詞に余計な力が抜けた分、逆に意休としての大きさ、風格が出たように感じた。ただ、助六に床几の下からつつかれて、「痛いっ」と言うのが、少しリアルに過ぎた。
段四郎の門兵衛は、前回の時も良かったのだが、今日はそれ以上。体調も戻り、力強さがあるのと同時に、江戸歌舞伎の持つおっとり感、滑稽感が滲み出ていて嬉しくなった。
芝翫の満江は、出てきて、花道に引っ込むまで、強烈な存在感で観客を引きつけた。これまで観た満江で一番のインパクト。
東蔵の通人は、もはや持ち役。予想通り、「どんだけー」「そんなの関係ねえ」をやっていたが、團十郎梅玉の授賞について触れていたのも良かった。
梅玉初役の白酒売は、今ひとつ物足りない。江戸和事としては、もう少し滑稽味がほしいところ。
最初の口上は段四郎だったが、「恐悦至極」を、「恐悦じご・・」とトチって、変な笑いを起こしていた。
芝のぶの並び傾城が、目を洗われるような美しさ。芝居途中、何度もチラ見してしまった。
・・・テレビ中継も入り、賑やかな歌舞伎座ではあった。(今、録画しておいた、その中継の助六を観ながら記しているのだが、映像の團十郎の方が、生舞台よりも映えて見えるのが、不思議だ。)