日生劇場 二月大歌舞伎

kenboutei2013-02-11

今月の東京での歌舞伎は、日生劇場幸四郎一座のみ。
『口上』幸四郎。怪我で休演していた染五郎が復帰することを報告。「染五郎の新しい門出」とも言っていた。息子のことしか話さず、従兄弟である團十郎急逝の件は一言も触れなかった。
吉野山染五郎の忠信、福助の静、亀鶴の藤太。
福助の静の出、日生劇場で観ると、照明の加減で艶っぽく見えた。新橋演舞場より雰囲気がある。
染五郎の忠信は、どこか手探りで踊っている感じ。華やかさに欠けた。
『新皿屋舗月雨暈』『魚屋宗五郎』の通し。以前、国立劇場で松緑、孝太郎で観たが、それよりも面白かった。
特に、前半の「弁天堂」「お蔦部屋」「お蔦殺し」の三場が良かった。
ここでの福助のお蔦が、本日一番の上出来。悪い時の福助であれば、大袈裟になりそうなシチュエーションなのだが、そうならずに受け身の芝居に徹していて、そこに被虐美が垣間見られた。面白いお蔦であった。
染五郎の磯部も良かった。周囲から魚屋の娘を妾にしたことを批難されても庇っていることを酔いながら話し、しかしそのお蔦が不義をしたことを知り、裏切られて怒り高ぶっていく感情の流れをうまく表現できていた。
児太郎が小姓で結構台詞あり。まだまだ未熟だが、それでも上達はしている。
前半に比べると、本来メインであるはずの後半「魚屋宗五郎」は、つまらない。
おなぎにお蔦殺しの経緯を聴く場面で、普段は起こらないところで笑いが起こる。また、幸四郎の酔った台詞が、時折ふざけた感じになる。わざと客を笑わせようとしているのではなく、幸四郎の笑いの感覚が、どこかずれているということなのだと思う。
福助二役のおはまは、お蔦との違いを強調するためか、かなりぞんざいな役作り。
高麗蔵のおなぎは本役。錦吾の父親。亀鶴の三吉。
今回通しで観て、あらためて黙阿弥の筆のうまさを認識した。
普段の「魚屋宗五郎」では、磯部邸でのハッピーエンドに無理矢理感があって納得しずらいのだが、お蔦殺しの場を見せることで、殿様の行為にも(酒乱だけではない)理屈があったのだということがわかる。もっとも、そうだとしても、罪のない女を殺し、それを金で解決していることの理不尽さは拭えない。しかし、黙阿弥は、その理不尽さを残したまま、無理矢理ハッピーエンドにまとめることで(当時はそういう終わらせ方しかできないのを承知で)、階級社会の矛盾をあからさまにしているとも言えるのではないだろうか。(これは、かつて『筆屋幸兵衛』で思ったことと同じである。)
通しで上演する機会がもっとあっても良い。