11月新橋演舞場 昼・夜

kenboutei2012-11-25

仁左衛門がずっと病気休演していて心配だったが、無事復帰。千秋楽のチケットにしておいて良かった。(たまたまだけど)
昼の部
『引窓』
「井筒屋」と「難波裏」が前につくが、以前松竹座で観た時(ただし今回「米屋」はない。)と比べると、それほどではない。代わりに「角力場」がなくなるのと、どちらが良いのか、微妙なところ。
翫雀の放駒は、左團次の濡髪が相手では小ささが余計目立つが、滑稽さや上方の雰囲気は十分で、なかなか面白い。
扇雀の与五郎はすっきりとした立役。(出る前に、御簾内から客席を覗いていたのがわかった。)
「引窓」から、仁左衛門の南与兵衛登場。大阪の時と同じく、人相書きを観客の方に見せ、最後の出では顔を覆って涙する。着物についた埃をとりつつ濡髪に気がつく所作も自然でうまい。
竹三郎の母親は手堅い。時蔵のお早は悪くないが、仁左衛門とはあまり合っていないような気がした。
文七元結毎度のことでかなり食傷気味であったが、菊五郎がいつもよりしっかり(真面目に?)芝居をしていて、上出来。六代目は舞台に気が入る時とそうでない時がはっきりわかったということを聞いたことがあるが、当代菊五郎もそうなのか?
菊之助の文七は、台詞に上達の跡。身投げのやり取りでの「いーんでございますよ」や「あなた」という台詞廻しが、ごく自然に聞こえた。また、團蔵の藤助の「おこっちゃいけませんよ」という台詞も、以前の團蔵より自然。
時蔵のお兼。時蔵は昼の部は、仁左衛門菊五郎の二人の女房役。相性としては、こっちの方が良い。
魁春角海老女将、単に物わかりの良い人物にせず、吉原遊郭の冷酷な一面を垣間見せていたのが、うまいと思った。
東蔵の和泉屋清兵衛は安定。
お久は右近、女形で観るのはつらくなってきた。ここは梅枝で見たかったところ。
いずれにせよ、菊五郎劇団の『文七』としては、これまでで一番良かったと思う。

夜の部
『熊谷陣屋』
仁左衛門の熊谷。ずっと休演していたのだが、声の調子も良く、出色であった。
最初の出、人形のようでもあり、錦絵でもある。顔の隈取りの映え具合にも惚れ惚れ。七三で止まって数珠を袂に入れ、筒袖になって舞台に入るまでの一連の流れるような、しかしはっきりと綺麗な形になっている動きにも見とれた。相模に気づいて袴をポンと叩くところも、幸四郎のようにオーバーでなく、実に自然かつ恰好良い。
藤の方を前にして、手を大きく動かすところなども仁左衛門独特で、面白い。更に物語になってからの動き、台詞は、まことに飽きる事なく、語っているその情景がはっきりと目に浮かぶ。吉右衛門とはまた違う、芸容の鮮やかさ。
首実検では、首を自分の膝に乗せて義経に見せる。その後、相模に自分で渡す時も相模との位置取りがとても良い。夫婦愛であり、親子愛であり、家族愛。仁左衛門の熊谷には常に愛が感じられる。
鎧兜になってからも、小さくまとまらず、立派。
そして「十六年は一昔」。「夢だ」ではなく、「夢であったなあ」という台詞になるのが仁左衛門型。その台詞の中に、十六年間の思いが詰まっている。
最後まで目が離せない、充実の熊谷。今月数日しか舞台に出ていない仁左衛門をたっぷり観られたのは、幸福であった。(ずっと代役していた松緑の熊谷を観てみたい気持ちも多少はあったが。)
相模は魁春。裲襠は座りながらきちんと脱ぐ。品格があるのが良い。秀太郎の藤の方。左團次の弥陀六は、かなりゆっくり、分かり易く台詞を言う。
梅玉義経が本役。「じいよ」のところではあまり笑わないが、その方が好きだ。
極めて高水準の『熊谷』で、久しぶりに本物の歌舞伎を観た思い。
『汐汲』
藤十郎の蜑女が元気に動く。それが重要。翫雀の役(此兵衛)は何だったんだろう。
『四千両小判梅葉』
有名な外題なので知ってはいたが、観るのはたぶん初めて。江戸時代の牢屋をリアルに描くのが眼目。菊五郎の富蔵、梅玉藤十郎
菊五郎の富蔵は、囚われた駕篭の中から出す顔つきが良い。梅玉藤十郎は、ニンにない役。
時蔵がまたまた菊五郎の女房役。今月の時蔵は珍しく奮闘。
牢内は、当時の風習を知る上で面白かった。本当にああだったんだろうな。牢内に、團蔵菊之助松緑らが揃うのは、さすがに菊五郎劇団ならでは。すってん踊りは桂三だったが、あまり面白くない。
千秋楽の遊びがあるかと思ったら、なかった。最後まで真面目に芝居をした菊五郎であった。(そして飽きさせなかったのはさすが。)