五月新橋演舞場 昼夜

kenboutei2012-05-05

昼の部
『西郷と豚姫』翫雀のお玉、獅童の西郷。ともに初役。翫雀の豚姫は、過去の『お江戸みやげ』の成功から結構期待していたのだが、不発。お玉の心理描写がまるでできていない。周囲の仲居や芸妓との何気ない会話の中で、自分の絶望感を観客に自然と伝えなければならないのに、それがうまくいかない。だから、西郷に「死ぬ気だろう」と心中を当てられて驚いた時、観ているこちらもびっくりする。まるで死ぬ気があるようには見えないお玉なのである。
一方の獅童の西郷も、更にひどい。西郷の拵え自体が、何かふざけたパロディのように見える。お玉に匿われて、陰で会話を聞いている時の姿勢も良くなかった。
児太郎の舞妓も相変わらず芝居を破壊し(それでも女形の方が、まだ破壊度合が小さい)、松也の芸妓は、まるで早乙女太一
演出は久保田万太郎と奈河彰輔のダブルクレジットだが、少なくとも、とても久保田万太郎の意図した芝居には見えなかった。(勘九郎の豚姫、吉右衛門の西郷で観た時は、もっと面白くしんみりする芝居だったのだが。)
『紅葉狩』福助の更科姫。照明のせいか、顔が老けてみえるが、踊るとまあ綺麗に見える。鬼女となってからは、凄みを効かせようという意識が強過ぎて、崩れがちになる。真女形なのだから、もっと控え目でも良いのではないか。
獅童の維茂は、全体的な気品が不足。普通に立っていても、維茂という役柄より、化粧した獅童その人が先に意識されてしまうのは、本人が役と一つになりきれていない(ように見える)からだろう。
高麗蔵の局田毎がとても良かった。
山神に愛之助
女殺油地獄愛之助の河内屋与兵衛。東京では初役で、もちろん仁左衛門仕込み。仁左衛門をよく写してはいるが、序幕の徳庵堤では、仁左衛門のようなやんちゃな愛嬌に欠け、さらに三幕目の豊島屋の殺しの場では、殺気と色気に乏しい。とはいえ、真面目な芝居態度は好感があり、幕が進むごとに良くなってはいた。豊島屋の場での最初の出、花道の頬冠り姿は、仁左衛門とはまた違った、愛之助独自の美しさがあった。
福助のお吉は、初役とのことだが、まずまず。
秀太郎歌六夫婦が、見事。この二人で芝居が成立しているようなものだった。
妹おかち役に米吉。子役から一歩抜き出た感じで、初めて米吉の名を意識した。
松也の芸者小菊は、やっぱり早乙女太一。何とかならんのか。

 
夜の部
椿説弓張月
低調な昼の部に比べると、数段面白かった夜の部。
三島由紀夫の『椿説弓張月』は、かつて猿之助で一度観ているのだが、裸の男への拷問場面の他はまるで覚えていない。そのせいか(?)、今回は初見のような感覚で、ずいぶん新鮮であった。
序幕は『忠臣蔵』の大序のように、人形振りで染五郎歌六愛之助らが動き出す。ここは先月の本家『忠臣蔵』よりも面白かった。
染五郎の為朝は、綺麗でスッキリしている。多少幼く見えるところはあるが、ニンに合っている。惜しむらくは、祖父がそうであったような(と想像するだけだが)、場を圧するような声量と迫力に乏しいこと。いつも思うことだが、染五郎にもう少し声の太さ、強さがあったらと思う。
七之助の白縫姫も、染五郎と似たような感じで、綺麗・スッキリ。登場するのは中の巻からだが、最近の好調さを維持。武藤太を拷問する場では、そのクールな無表情が良く、玉三郎とはまた違う嗜虐性を持った美があった。台詞の緩急、強弱もうまくなっており、感心。
思いのほか面白かったのは、下の巻の「北谷夫婦宿の場」。ここは、『安達が原』の「一ツ家」を想起させる、いかにも疑古典の雰囲気が漂う。翫雀の阿公が良い味。戻りとなって、かつて契った歌六の紀平治を意識してつい恥じらい、露わにしていた乳房を隠す仕種がとてもチャーミングだった。
天狗や鰐鮫が登場するのは、まさに筋書にも紹介のあった、国芳の『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』の世界。前回観た時は、この辺の読本や浮世絵の世界を殆ど知らないでいたので、印象が薄かったのかもしれない。

染五郎は、できるだけ初演時の演出に戻したかったとのこと。それは自分が観た猿之助バージョンの否定でもあろうが、三島歌舞伎のいう疑古典の再現、ということであれば、最近の興行では珍しい午後9時超えの上演時間も含めて、正解であったと思う。
歌六の紀平治がしっかりとした演技で芝居を締める。裸で拷問される男、すなわち武藤太は薪車。なかなか肉体美な上半身であった。(白い褌が、ちょっとオムツみたいで笑えたが。)
他に福助獅童ら。松也は夜の部もやっぱり早乙女太一だった。