日生劇場 昼・夜 七代目幸四郎追善

kenboutei2011-12-11

今月は日生劇場で、七世松本幸四郎襲名百年と銘打ち、その曾孫である染五郎松緑海老蔵での興行。企画としてはなかなか面白い試み。昼夜通しで観る。
昼の部
『碁盤忠信』七代目幸四郎が襲名時の披露狂言。今回はその時以来ということで、すなわち百年振り。百年前では誰も観たことがない芝居であり、それをいいことに、自由に作ってしまったようだ。結果としては、凡庸な歌舞伎ショー。撮影時に使う折りたたみ式のレフ板を使って碁石の黒白を表現したり。もっと古風な雰囲気を期待していたのだが。
染五郎佐藤忠信。荒事仕立だが、染五郎のニンではない。顔に力を入れると泣き顔のように見える。海老蔵が横川覚範。これも押し戻しのような趣向。何だかよくわからない。海老蔵は相変わらず、見得の時に唸って相手を威嚇する。発声を素直に行わず、口の中でこもらせて言うので聞き取りにくく、不快。本人は凄みのつもりかもしれないが。
亀三郎が義経で、まず第一に登場。これは、と期待したが、意外にパッとしなかった。
『茨木』松緑の真柴と茨木。花道の最初の出が丁寧で良い。折目正しく、前の幕の乱れた芝居を観た後には、清涼感すら覚える。常に失った腕を狙っての緊張感も漂い、とても良い真柴であった。後シテの茨木は、隈取りが何となくキュートで可愛かった。一番感心したのは、最後の飛び六法。片足になってもバランス崩れず、余計な声も発せず、実に立派で美しい。自分の観てきた飛び六法の中でも、美しさという点では、かなり上位の部類に入る。この六法を観て、最近殆どやらせてもらえていない、松緑の弁慶を、今の時期に是非観てみたいと思った。
海老蔵渡辺綱は、前の幕とは一転して、観た目もすっきり、雰囲気もあって良かった。独りよがりの余計な工夫などしないで、素直に演じていた方が良いのだ。ただ、最後の赤い舌出しは、誇張し過ぎ。あれでは『紅葉狩』の鬼人より恐ろしい。
太刀持ちは梅丸。
昼夜通じて一番の舞台。
 
夜の部
『錣引』染五郎松緑。これも昼の部の『碁盤忠信』同様、何だかよくわからない。だんまりもつまらない。舞台面が、なかなか絵にならないのは、若手故なのだろうか。
『口上』染、松、海の三人が舞台に。この三人だけでの口上の光景を観ると、かつての高麗屋三兄弟の『勧進帳』競演時の口上の映像や写真がオーバーラップする。歌舞伎の歴史が続いていることを実感できる、こういう場面に立ち会えることが嬉しい。
まずは染五郎が、今回の興行の趣旨と曾祖父の功績、この三人でできる喜びを語る。
続いて松緑が、七代目が藤間流の家元で踊りの名手であったこと、昼は自分も『茨木』を踊るので、昼も来てくれと言い、更に、「自分は口下手。『車引』で例えると、染五郎が松王、海老蔵が梅王で自分は桜丸。」と言って観客を沸かせる。後で染五郎が、「こんなに口上で毎日言うことを変える松緑が、口下手なはずはない。」と応酬。
最後は海老蔵。七代目は市川宗家・九代目團十郎の弟子だったと、染五郎の隣で言い放った後、九代目から曾祖父が衣鉢を継いだ『勧進帳』の弁慶を今日は心して務めたいと殊勝にも語ったが、これもまた放言であったことを、この後の幕で知ることになる。
勧進帳海老蔵の何度目かの弁慶。先に観た人から「ひどい」とは聞いていたのだが・・・。
山伏問答の途中までは我慢できた。しかし、「九字の大字」からだんだん耐えられなくなり、「霜に煮え湯」でもう飽きれていた。この大袈裟でマンガみたいな弁慶は一体何なのだ。後半は、殆ど一人芝居の様相。延年の舞も粗雑・乱暴、その前の酔態はまるで魚屋宗五郎。これが曾祖父七代目松本幸四郎の追善舞台で演じる弁慶であっていいものだろうか。
もともと海老蔵は、自分の演じる役について、よく考えるタイプであり、それは立派なことだと思うが、考える方向がおそらく間違っており、独りよがりになってしまう。
自分が思うに、今、ここで海老蔵が考えている弁慶は、ただひたすら義経を守ろうとする弁慶だろう。筋書の中でも海老蔵はそう言っているし、その解釈は決して間違いではないと思う。しかし、その義経を守ろうとする弁慶像を表現するのに、富樫への敵対心を剥き出しにしながら必要以上に威嚇し、義経打擲のためらいを誇張しすぎ、四天王に対して上から目線で統率するのは、『勧進帳』という芝居全体を考えていない証拠でもある。海老蔵は、もっと舞台の調和というものを考えるべきではないか。
弁慶に限らず、発声方法や見得の仕方も含めて、海老蔵には父親以外の誰かにきちんと教わってもらいたいものだ。(自分本位で勝手に演じても味わいのある役者はいるが、それは別次元の話だ。)
一人で目玉や歯を剥き出して興奮している弁慶を尻目に、キョトンとした顔で受け流している松緑の富樫の方に、同情心が沸いた。『茨木』でも抱いた、彼に弁慶をさせてあげたいという気持ちが、一層強くなった。(そもそも、今月の『勧進帳』は、その趣旨からいっても、三人が日替わりで弁慶を務めるべきなのだ。)
染五郎義経は、あまり印象に残らなかった。
太刀持ちは、もちろん梅丸。(もはや「ザ・小姓」といった感じ。)
昼夜ともに、澤瀉屋一門が脇を務める。(まあ、彼らも由縁はあるからなあ。)
 
休憩除くと昼の部3時間、夜の部2時間。午後7時には終わる省エネ興行にもかかわらず、最後の『勧進帳』でどっと疲れて、家路についた。