『恋すれど恋すれど物語』

kenboutei2011-01-27

神保町シアターの喜劇特集。昭和31年、斎藤寅次郎監督。(今週は斎藤監督の喜劇特集となっているようだ。)
有島一郎三木のり平エノケン、ロッパ、金語楼アチャコトニー谷に加えて、大河内傳次郎、益田キートン浪花千栄子清川虹子、さらに雪村いずみと、これだけ揃えば、期待も高まるというものだが、意外や全くの凡作。
唐津の町人の有島一郎三木のり平のコンビが武士にとりたてられ、新兵器の火薬が入った壺を江戸城に運ぶまでの珍道中。
菊田一夫の同名ミュージカルの映画化ということだったが(それも足を運んだ理由ではあった)、舞台の流れが映画の中では分断されてしまったのかもしれない。
元がミュージカルということで、冒頭はお祭りの賑わいに、雪村いずみ田端義夫(バタやん!)が歌うという、最高の導入であったのだが、その後は、低調。単発の面白味のない歌の挿入や、大部屋総出のフォークダンス、お化け屋敷での効果音と、いかにもやっつけ仕事の出来であった。
有島・のり平というのは、面白い組み合わせと思ったが、それほど弾んではいなかったなあ。若くて恋する有島一郎というのは、貴重な設定だが、主役よりは脇で怪演するタイプというイメージがあるからだろう。この点は、のり平も同じ。
ヒロインが宮城まり子というのも、今から見ると、そのチープ感を増幅させるものであった。映画で観るのは、『東京の休日』以来。
とはいえ、不思議な魅力も部分的にはある。
火薬の入った壺を核兵器に見立て、アメリカの水爆実験の記録映像をパロって、江戸時代の重臣がサングラスをかけて小屋の中で実験を見守り、原爆雲は実際のフィルム映像を使っている。実験後は、白骨の死体が残るなど、結構ブッラク
混雑した船の中で、大波に揺られて嘔吐感を出しながら壺を奪い合うシチュエーションは、まるでマルクス・ブラザーズの映画を観ているような、シュールな面白さがあった。
アマゾネス風の女性集団が男を奪うのに相撲をするという設定で、その女相撲がほとんど女子プロレスだったのも、目が点になった。
壺の暗喩は、当時の日本の再軍備や世界情勢を意識してのものだろうが、それが効果的な笑いに転じておらず、昭和30年代の玉石混交量産映画の一本に埋没してしまったのが、惜しまれる。(実際の舞台はどうだったのだろう。)