三月歌舞伎座 第二部・第三部

kenboutei2010-03-21

二部と三部を通しで観る。
やはり仁左衛門の菅丞相が素晴らしい。
『筆法伝授』で、二重屋台奥の御簾が上がって姿を見せた時、微動だにしない。その一瞬だけで、菅丞相の高貴さ、気品を十分に納得させる存在感。
今日の仁左衛門は、『筆法伝授』も『道明寺』も、これまで以上に動きを抑えている。身体の操作を極力削ぎ落とし、まさに佇まいだけで魅せる。それができるのは、内にある菅丞相としての精神性の強さがあってこそだと思う。仁左衛門の菅丞相には、気力のオーラのようなものがあって、これまでは、それを受け止める観客にも緊張感を強いて、観終わるとどっと疲れたものだが、今日は、そのオーラが自分の身体にの中に自然と入り込み、実に心地良く、受け止めることができた。緊張感と同時に睡魔との戦いでもあった『筆法伝授』と『道明寺』を、全く飽きる事なく、ワクワク感すら覚えながら観たのは、今日が初めてである。(二部・三部に分けて間を置いたことで、観ている方の気分も変わった部分があるかもしれないが。)
『道明寺』で輿に乗る時の木像を思わせる足の動きの面白さもさることながら、木像を上座に置いてから、唐土で墨絵の雲竜が雨を降らせたという故事を語る時や「身は荒磯の島守りと朽ち果つる」のチョボに乗っての一連の動きなども、簡素にして明快、ビデオで観る十三代目とはまた異なる、当代らしい身体のキレがあって、とても良かった。
玉三郎が、なんと覚寿を勤める。今月の『道明寺』は、十三代目仁左衛門の十七回忌に加え、守田勘弥の三十七回忌も行うことからの配役らしい。
最初の出では、わざとヨタヨタ、ドタドタと杖を頼りとした歩き方で、年寄りを強調しすぎだと思った。杖折檻までは、そのわざとらしさが鼻についたが、その後の会話主体の芝居では、しっかりと立て直していて充実、様々な登場人物とのやり取りをうまく捌き、舞台を差配。仁左衛門の菅丞相と伍する立派なものであった。
梅玉は『筆法伝授』で源蔵。芝雀の戸浪。菅丞相の学問所へ案内される際、源蔵と吉之丞の局が一緒になって廻り舞台に合わせて歩く場面の、ゆったりとした時間の流れに不思議な雰囲気があり、面白かった。東蔵の希世が手堅い。魁春の園生の前、歌昇の梅王丸。
全体的に、『筆法伝授』は、人形で観る文楽の舞台を彷彿とさせ、義太夫狂言の面白さが味わえる、濃厚な舞台であった。
『道明寺』の方では、秀太郎の立田の前が、さすがにうまい。我當の輝国は、声が立派。歌六の土師兵衛、彌十郎宿禰太郎の親子も良かった。
孝太郎の刈屋姫は、終始控え目でまずまず。錦之助が奴宅内。
第二部では、『筆法伝授』の後に『弁天娘女男白浪』がつく。「浜松屋」と「勢揃い」のいつもの出し方。菊五郎菊之助吉右衛門の南郷、幸四郎の駄右衛門と大顔合わせで悪かろうはずはないのだが、何故かとても退屈で、途中ウトウトしてしまった。吉右衛門の南郷は、歩き方と甲の声に若々しさがあった。幸四郎の駄右衛門は、大きく立派。でも、全体的にはつまらなかった。(どこか、「観光客仕様」と思ってしまったせいかもしれない。)
第三部の『道明寺』の後は、富十郎、鷹之資親子の『石橋』。鷹之資の踊りがとても素直で良かった。スクスクと育っていることが良くわかる。後シテの獅子は富十郎で、『矢車会』での一日限定の『連獅子』でも毛を振らなかったので、どうなるのかと思ったが、やはり毛は振らずに終わった。ガッカリするよりも、ホッとした。
狂言松緑錦之助勧進帳のパロディのようなやり取りがあったのが、少し面白かった。